「令和2年7月豪雨」で被災した人吉城歴史館所蔵の植物標本レスキュー(Part.1)
前原勘次郎コレクションの被災

(左)人吉城歴史館で被災した前原勘次郎の植物標本。棚が水に浮いて傾き、標本が落下している。(右)人吉城歴史館での搬出作業の様子。(撮影・提供: 熊本県博物館ネットワークセンター)
2020年7月8日、熊本県の球磨川氾濫のニュースが伝えられてから数日後のこと、熊本大学の副島顕子教授から「人吉城歴史館で保管されていた前原勘次郎氏の植物標本3万3000点が球磨川の氾濫で被災したので、何とか救済できないか?」というメールを受け取りました。前原氏は熊本県南部の植物研究の先駆者として知られており、そのコレクションが人吉にあるというのは初耳でした。傾いた棚が写った小さな写真が添付されてはいたものの、何かの間違いであることを期待しつつ、情報収集を進めたところ、間もなく、約3万点の標本が被災したのはまぎれもない事実であることが判明しました。季節は夏、一度水に濡れた標本は、放っておけばみるみるうちにカビだらけになってしまうでしょう。搬出の目途が立ってない状況ながらも、まずはカビの繁殖や腐敗を止めるための冷凍保管スペースを確保し、現地からの要請があればいつでも受け入れられる体制を整えることにしました。2011年の東日本大震災では、津波の被害を受けた陸前高田市立博物館などの植物標本レスキューに全国の博物館が協力して取り組みました<リンク1,リンク 2(1.8 MB)(リンクを新しいタブで開きます)>が、その際のメンバーを母体にして「植物系学芸員メーリングリスト」が運用されており、全国のほとんどの植物系学芸員に即座に連絡を取ることが可能な体制ができていたのです。7月13日の依頼からたった一日のうちに、14もの博物館等から冷凍・冷蔵スペース提供の申し出があり、段ボール150箱分以上のスペースの確保に至りました。
- かはくホットニュース「東日本大震災被災標本レスキュー活動」 - 藻類標本の救出
- 鈴木まほろ、陸前高田市立博物館所蔵押し葉標本のレスキュ-(全科協ニュース Vol. 41, No. 5, 2011年)(1.8 MB)(リンクを新しいタブで開きます)
現地からの標本搬出から乾燥・修復着手まで

(左上)当館筑波研究施設に冷蔵便で到着した被災標本(2020年8月6日)。(右上)冷凍室に収容された被災標本(2020年8月6日)。(下)被災標本を受け入れた全国の博物館等35機関の分布図。
人吉城歴史館を管理する人吉市から依頼を受ける形で、熊本県博物館ネットワークセンターの職員が現地から同センター(宇城市)への搬出を開始したのは7月15日、被災から既に11日が経過していました。復元された櫓の中に保管されていた押し葉標本は、水位1.5m以上の浸水によってごく一部を除いて水に浸かり、水に浮かんだ棚から床に落下したものもありました。被災標本点数は約3万点、過去に経験のない大規模なレスキュー活動が必要な状況でした。水を吸ってずっしり重くなった標本は、冷蔵輸送での制限重量に収まるよう小分けにされ、標本の一時受け入れを表明した博物館等に向けた発送が始まりました。ところが、7月22日の段階で、段ボール200箱分以上の未発送標本が残っているにもかかわらず、受入館のスペースがほぼ埋まってしまいました。追加の受け入れ先を募ると共に、先に受け入れをした機関では修復処理を急ぐことによって追加の受け入れのスペースを捻出する努力が続けられ、最終的には人吉からの直接搬入が可能な熊本県内の冷凍スペースも確保された結果、ようやく全標本が安定した保存環境下に置かれることになったのは、被災から1カ月以上が経過した8月10日頃のことでした。
標本の損傷状況と修復作業

(左上)泥まみれになった標本の束。(右上)筆を使用して洗浄中の標本。(左下)洗浄後にメッシュに挟まれた標本。(右下)乾燥機へのセットを待つ標本。
水に浸かった標本はどの程度の被害を受けたのでしょうか? 一部の標本は全体が透明プラスチック袋に入れられていたため、内部への浸水は最低限に抑えられていました。しかし、残りの多くの標本は袋には入れられておらず、新聞紙で束が包まれていたため、標本全体が泥をかぶった上に完全に水を吸った状態でした。標本が置かれていた櫓の土壁が水に浸かって溶け出したことも状況を一層悪くしたようです。水没から一時保管まで常温に置かれた時間が長かったことから、多くの標本でカビの発生が確認され、さらにはバクテリアの増殖によってぬめりが発生している標本も多数認められました。
標本を今後も利用可能な状態に保つためには、これらの泥やカビ・バクテリアを除去した上で完全に乾燥させる必要があります。レスキュー活動の開始当初は、標本ラベル、標本台紙から包んでいる袋・新聞紙(貴重な明治時代のものも含まれています)まで、植物標本に付随した全ての部材を処分することなく保存することを申し合わせました。しかし、泥とカビまみれの厚手の標本台紙をクリーニングするのは容易ではありません。台紙は後年になって付け加えられたものであることが確認されたため、メモ書き等の失われる情報がないことを確認した上で処分もやむなしとする方針に切り替えられました。水を張ったバットの中で、植物標本とラベルを台紙から剥がしながら慎重に洗浄し、貼りつかないようナイロンメッシュに挟んだ上で、吸水用の新聞紙・段ボール板を重ね、乾燥機にセットします。極力元の状態に近づける努力をしましたが、既に本来とは程遠い状態まで損傷しており、再び資料としての活用が望めないものも残念ながら存在します。