「令和2年7月豪雨」で被災した人吉城歴史館所蔵の植物標本レスキュー(Part.2)

Pick Up! サイエンス

前原勘次郎と球磨地方の植物研究

前原勘次郎と球磨地方の植物研究

(左)前原勘次郎 著『南肥植物誌』(当館図書室所蔵)。
(右)国立科学博物館所蔵のヒトヨシテンナンショウ Arisaema mayebarae 副基準標本。

日本のどこにどんな植物が分布しているのか、その解明は大学などの研究機関に所属する学者たちと熱心な地方のナチュラリストたちとの協働なくしては実現できないものでした。前原勘次郎(1890-1975)もその一人であり、教職の合間に熊本県南部の植物をくまなく調査し、確認された植物の種名をまとめた『南肥植物誌』(1932年)を出版しました<リンク1(235.7 KB)(リンクを新しいタブで開きます)>。前原が採集した標本は、京都大学の小泉源一・田川基二、東京大学の中井猛之進ら多くの研究者に同定依頼のために送られ、その中からはたくさんの新種が発表されました。ヒトヨシテンナンショウ Arisaema mayebarae、オオキヨズミシダPolystichum mayebaraeなど、献名された学名にも前原の功績を偲ぶことができます。『南肥植物誌』の出版のきっかけは、1931年の昭和天皇行幸時に県を挙げて企画された天覧標本の収集でした。それを機に始まった熊本記念植物採集会<リンク2(リンクを新しいタブで開きます)>は90年後の現在も活動が続いており、熊本県の植物相解明の取り組みが脈々と受け継がれています。

植物の重複標本と標本交換の文化

植物の重複標本と標本交換の文化

(左)国立科学博物館に収蔵されている前原勘次郎採集のボロボロノキ標本。添えられた手紙から、当時当館で定期的に開催されていた「おしば展」に前原氏が出品した標本の1点であることがわかる。台帳の記録によれば、当館へは昭和29年度に寄贈されている。
(右)人吉城歴史館で被災し国立科学博物館がレスキューを受入れた標本中から見出されたボロボロノキの標本のラベル。上の標本と情報が完全に一致し、重複標本と判断される。

樹木などの大型の植物では、1個体からたくさんの標本を作製することができます。また、別個体を採集した場合でも、採集者が同一番号をつけていれば単一の採集品として扱われることが、命名規約で定められています。複数作られた単一採集品の標本を「重複標本」と呼び、これを交換し合って多くの機関あるいは個人で共有する習慣が植物学では古くから定着していました。現在のようにインターネットで画像の公開ができなかった時代でも、遠く離れた場所にある研究機関の間で標本が共有できたため、植物の名前を決める際のコミュニケーションツールとして重宝されてきました。

重複標本は災害時のバックアップとしても機能します。第二次大戦中には、ベルリンやマニラなどの自然史博物館に収められていた重要な標本が戦災で失われるという悲劇が起こりましたが、重複標本が別の機関に送られて保存されていたために、学名の元となったタイプ標本が消失を免れた例が知られています。前原勘次郎は、自身の標本を京都大学・東京大学・当館などに送っていたことがわかっており、今回被害にあったものの重複標本がこれらの機関から見つかる可能性が残っています。人吉城歴史館の標本は、前原が手元に控えとして残していた標本であると推定されますが、前原が研究機関に送付した標本が詳細に研究されて新種が発表された例は少なくなく、そのタイプ標本の重複標本(副基準標本)が人吉城歴史館の標本中に相当数含まれていることが予想されるのです。前原勘次郎コレクションの全容が、今回のレスキュー活動を機に解明されることが期待されます。重複標本は災害時のバックアップとしても機能します。第二次大戦中には、ベルリンやマニラなどの自然史博物館に収められていた重要な標本が戦災で失われるという悲劇が起こりましたが、重複標本が別の機関に送られて保存されていたために、学名の元となったタイプ標本が消失を免れた例が知られています。前原勘次郎は、自身の標本を京都大学・東京大学・当館などに送っていたことがわかっており、今回被害にあったものの重複標本がこれらの機関から見つかる可能性が残っています。人吉城歴史館の標本は、前原が手元に控えとして残していた標本であると推定されますが、前原が研究機関に送付した標本が詳細に研究されて新種が発表された例は少なくなく、そのタイプ標本の重複標本(副基準標本)が人吉城歴史館の標本中に相当数含まれていることが予想されるのです。前原勘次郎コレクションの全容が、今回のレスキュー活動を機に解明されることが期待されます。

浮き彫りになった課題、そして返還に向けて

1756797907444修復が完了して返送を待つ標本の山。

全国に無数に存在している自然史標本。自然物を収集したものだとは言え、もう一度完全に同一のコレクションを採集して構築するのは不可能です。頻発する自然災害を完全に避けることは困難ですが、自然史標本の所有者・管理者は代わりのない資料であることを前提に、被災リスクを低減するための努力を払う必要があるでしょう。自然史標本は半永久に遺していく必要があるので、100年に1回レベルの自然災害を想定外とは言っていられません。災害時の迅速な対応を一つの目的として、国内のどこにどんな標本が何点保存されているかを集約したデータが公開されています<リンク1(リンクを新しいタブで開きます)>。しかし、人吉城歴史館の前原コレクションは存在が見逃されていました。その存在が知られていれば、水害発生後の初動までの日数が短縮できた可能性がある点は悔いが残ります。

コロナ禍での制約も多い中、当館を含む各地の受入館での修復作業は着々と進んでいます。しかし、人吉への返却までにはまだ時間がかかりそうです。まず、同規模の氾濫に耐えうる保存スペースが確保される必要があります。そして、費用面が自然史標本のレスキューに関する最大の課題として残っています。レスキューのための輸送費・作業物品の購入費・人件費等の予算は担保されていないため、2020年末の時点では全て受入側の負担や立替となっています。

現在は人吉へ返送する輸送費確保の努力が続けられています。早期に返却が実現し、郷土の自然の変遷の記録資料として活用されることを願ってやみません。