恐竜化石の発見相次ぐ (協力:地学研究部 真鍋真・加瀬友喜)
日本産恐竜・発見ラッシュ!
2007年6月,和歌山県有田郡湯浅町の白亜紀前期の地層から恐竜の歯の化石が発見され,この11月,各紙に発表されました。高さ26.0mm,幅11.8mmの歯1本で,ナイフのような形をしており,縁にはのこぎりのようなぎざぎざがついていることから,肉食の獣脚類(※1)の歯と考えられています。
肉食恐竜の歯は顎の先端,中ほど,奥など生えていた位置によって形や大きさが異なります。その為,1本の歯からどの恐竜のものかを推定することは非常に困難です。しかし,大きさから全長が約3.2~4.2m,体重は約80~150kg程度の,中型の肉食恐竜のものであったと推定されます。
この歯の化石は,和歌山県では初めて発見された恐竜化石です。日本で恐竜の化石が発見された都道府県はこれで1道15県になりました。
この数年,日本各地で恐竜の発見が相次いでいます。2006年に兵庫県丹波市で発見されたティタノサウルスの仲間と思われる竜脚類(通称「タンバリュウ」)は,これまでに頭骨の一部や複数の尾椎,血道弓(※2)が発見されています。何点かの骨は関節したまま発見され,その他の骨も生きていた時に近い位置関係で並んでいるものが多かったことから,今後全身の骨格が完全な形で発見されるかもしれない,という期待も大きくなっています。
また2007年には7月に福井県勝山市で,未だ種類は特定されていないながら竜脚類のものと推定される上腕骨が,10月には熊本県御船町で,草食恐竜ハドロサウルス類のものとみられる頭骨が発見されたという発表がありました。
国立科学博物館では,当館が所蔵する標本のデータや文献情報などを提供して,日本の恐竜研究に協力しています
2007年11月時点での日本国内の恐竜化石産出地点。
(「モシリュウ」・イグアノドン類の歯は日本館に展示しています。詳しくは「日本の恐竜発見史①」をご参照下さい)
※1 三畳紀後期に出現し,白亜紀末まで繁栄した恐竜の分類の総称です。2足で歩行し,大部分は肉食だったため肉食恐竜とも呼ばれますが、近年、植物食のものもいたことがわかりました。ティラノサウルスのような大型のもの,ヴェロキラプトルなど敏捷で高い知能を持っていたと考えられているものを含んでおり,近年では獣脚類の中の1グループが,鳥類に進化したとの仮説が有力になっています。
※2 尾椎の下にあって血管を保護する細長い骨です。ティラノサウルスの場合は血道弓の形などで性別が判るという説もありますが,現生種でも血道弓に雌雄差が現れないものもいるため,定かではありません。
日本の恐竜発見史 ①
日本で初めて発見された恐竜の化石は,1978年,岩手県岩泉町茂師で発見された竜脚類の上腕骨の一部です。発見された場所に因んで,「モシリュウ」と呼ばれていま
「モシリュウ」の第一発見者は,東大名誉教授の故花井哲郎先生(元国立科学博物館館友)と国立科学博物館地学研究部の加瀬友喜です。発見当時の様子について聞いてみました。
Q:発見した場所は,どのようなところでしたか?
A(加瀬):北上山地の北部,岩手県岩泉町茂師の海岸です。前期白亜紀(およそ1億年前)の海成層である,宮古層群が分布しています。宮古層群は、アンモナイトや二枚貝など、保存の良い化石がたくさん出ることで知られています。私は当時科博に就職して1年目で,宮古層群を研究されていた故花井哲郎先生と一緒に,岩泉町茂師周辺の地質調査に出掛けていました。
宮古から茂師まではバスで行きました。国道45号線から分かれた旧道沿い,崖の上に立っていた民宿に泊まることになっていました。その民宿のすぐ前の崖に,ちょうど宮古層の最も下の層(これを基底層といいます),サンゴの塊の入った礫岩が露出しています。その崖に何気なく目をやった時,岩とは違う白いものが崖面に覗いていることに気づいたのです。
Q:それが恐竜の骨だ,と直ぐに分かりましたか?
A:骨の組織が見えていたので,それが脊椎動物の化石であることは直ぐわかりました。骨の大きさ,太さから,かなり大きな生物であることも想像できました。しかしそれまで日本では恐竜の化石が見つかっていなかった上,例えば海生爬虫類などが恐竜と間違われた例もあったため,間違いなく恐竜,と言い切れるようになるまでには少し時間が掛かりました。
モシリュウ発見時の露頭。矢印前方が化石。(提供:加瀬友喜)Q:恐竜を探していた訳ではなく,偶然の出会いだった,と考えて良いのでしょうか?
A:そうです。
宮古層群はそれまでにも多くの研究者が調査に訪れており,私たちが行く僅か1ヶ月前にも別の研究者が同じ崖を見,崖の写真を撮っていました。しかしその写真では,化石は写っていなかったのです。写真が撮られてから私たちが行くまでのひと月の間に,崖が崩れて化石が見えるようになったのでしょう。残念ながら化石の一部も崖と一緒に崩れたようで,周りに破片が散らばっていました。私たちが訪れるのがあともう少し遅かったら,化石も完全に崩れていたかも知れません。出会えたのは偶然良い時期にその場所にいたから,と言って良いでしょう。
「モシリュウ」の発見まで,日本では恐竜の化石は見つからない,と言われてきました。事実,それまで日本で見つかった恐竜と言えば当時日本領だった樺太・サハリンで発見されたニッポノサウルスだけで,樺太がロシア領となって以降は日本産の恐竜はなくなってしまっていたのです。
「モシリュウ」発見をきっかけに,日本各地で恐竜が見つかるようになりました。その結果現在までに,前ページの地図のように多くの場所で恐竜やその足跡の化石が見つかっています。
国立科学博物館では,「モシリュウ」の上腕骨と,手取層群から発見されたイグアノドン類「シマリュウ」の歯の化石が日本館3階「日本列島の生い立ち」フロア,また「ニッポノサウルス」の全身復元骨格(複製)が地球館地下1階「地球環境の変動と生物の進化」フロアに展示されています。
※「モシリュウ」など、ここで「(かぎかっこ)」でくくって表示したものは学名ではなく、愛称の様なものです。
学名とは生物の公式な名称のことで,生物の名前として国際的に認識される唯一のものです。国際命名規約に従ってつけられ,保護されています。種の学名は属名と種小名というふたつの名前からなり,例えばフクイサウルスなら,属名Fukuisaurus,種小名tetoriensisで,合わせてFukuisaurus tetoriensisとなります。文章中の他のことばと区別できるよう,イタリック体標記が通例になっています。
日本の恐竜発見史 ②
これまでの約30年間の日本の恐竜研究の中で,特に多くの化石が発見されているのが石川県・富山県・福井県・岐阜県に分布する手取層群です。手取層群は今からおよそ約1億8000万年~約1億2000万年前,中生代ジュラ紀中期から白亜紀前期にかけて堆積した地層で,恐竜の他にも魚類、爬虫類、貝や植物など,豊富な化石を含んでいます。(※3)
1999年,福井県和泉村(現在は大野市の一部)の手取層群から発見された1本の恐竜の歯の化石が論文に発表されました。断面がアルファベットのDのような形をした左右対称の歯で,大きさは高さ11.0mm,幅4.5mmの小さなものでしたが,D型の断面はティラノサウルス類の上顎の先端付近の歯でしか確認されておらず,この歯もティラノサウルスの仲間のものと分類することができました。その後、同様な化石が石川県白峰村(現在は白山市の一部)からも発見されました。
ティラノサウルス類は,白亜紀の終わりに北米大陸に生息していたティラノサウルスを代表とするグループで,同じく北アメリカのアルバートサウルス,モンゴルのタルボサウルスなどの大型肉食恐竜を含む,白亜紀後期を代表する恐竜グループのひとつです(※4)。
手取層群の歯の発見まで,このグループに属する最も古い化石は白亜紀後期から発見されたものでした。手取層群から発見された歯からは,ティラノサウルス類がこれまで考えられていたよりも古い時代,白亜紀前期から既に存在していたことが示唆されました。手取層群からの報告の後,中国・遼寧省の同じく白亜紀前期の地層,熱河層群からもティラノサウルス類に属するディロングの化石が発見され,ティラノサウルス類が白亜紀前期,或いはそれ以前にアジアに棲息し,既に独自の進化を始めていたことが確かになりました。
白亜紀後期の初めにはアジア・北米両大陸が陸橋で繋がりました。この時期にティラノサウルス類は,北米大陸に渡っていったと考えられています。
※3 日本海が出来て日本列島が誕生したのは新生代のことなので(日本館3階「日本列島の生い立ち」参照),中生代の日本はまだアジア大陸の一部でした。大陸縁の気候は高緯度地域では温暖で湿潤,低緯度地域ではより高温で乾燥していたと考えられ,手取層群からは高緯度型の植物化石が見つかっています。
※4 ティラノサウルス類はかつてはアロサウルスなどジュラ紀の大型の肉食恐竜と同じカルノサウルス類に分類されていましたが,いまでは、小型の獣脚類のコエルロサウルス類に含まれると考えられています。コエルロサウルス類の中では、小型で飛行能力を得て鳥類に続いたものがいた一方で、ティラノサウルス類のように大型化したものがいたことになります。
科博からのお知らせ
旧本館中央ホールに展示されていた当時のアロサウルス名物展示第1弾 「帰ってきたアロサウルス」
来たる12月11日(火)から2月3日(日)まで,懐かしい恐竜の骨格が,日本館中央ホールに帰って来ます。
今では各地の博物館で比較的簡単に見ることができるようになった,恐竜の骨格標本。しかし,日本で恐竜の化石が発見されるようになるずっと,昭和30年代までは,日本の博物館では恐竜を見ることはできませんでした。
それを嘆いたのが,アメリカ在住の実業家,小川勇吉氏です。アメリカの博物館では当時,既に沢山の恐竜化石が展示され,子供たちを喜ばせていました。日本の子供たちにも恐竜を見せたい,その思いから小川氏は,アメリカ,ユタ州で当時進められていた恐竜の発掘に多額の資金を寄付され,アメリカ側から小川氏に贈られた発掘化石の一部を,国立科学博物館に寄贈して下さったのです。
こうして昭和39年(1964年)日本に初めての恐竜化石がやって来ました。全身のおよそ80%が実物の化石からつくられた,アロサウルスの全身復元骨格です。
それからおよそ40年,ご来館の皆様に親しまれて来たアロサウルスでしたが,古い学説に基づいた姿勢で組み立てられていること,化石・復元部分共に老朽化しており,姿勢の組み換えが難しいことから,平成16年,旧本館の展示改修に伴い,公開を終了することとなりました。
古い姿勢をしていて,収蔵庫にしまわれていると言っても,博物館の標本としては継続的に活用されています。冒頭に紹介した和歌山県の恐竜化石のように,日本で獣脚類恐竜が発見されると,まずは代表的な種と比較される中で,つねに参照されている重要標本でもあるのです。
今回の再公開は,国立科学博物館の130年の歴史の中の記念碑的な標本を期間限定で公開し,その歴史的意義を振り返るものです。偶然ですがアロサウルスという学名がつけられて今年でちょうど130年でもあります。アロサウルスの130年の歴史,最新の研究成果を紹介します。
初めての方も久しぶりの再会,という方も,この機会に是非会いにいらしてはいかがでしょうか?
(研究推進課 西村美里)
- 地学研究部 生命進化史研究グループ 研究主幹 真鍋真(HTML)
- 地学研究部 環境変動史研究グループ 研究主幹 加瀬友喜(PHP)(リンクを新しいタブで開きます)
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