桜-身近な花をどれだけ知っていますか? (協力:植物研究部 秋山忍)
花は終われど
地球館1階 サクラを利用する生きものたち「あなたはどれだけ知っていますか?」花を愛でるほかにもサクラは,わたしたちに多くの楽しみ,恩恵を与えてくれています。
サクラの枝・皮・葉・花びらはそれぞれ染色に使えます。花と同じ桜色をつくり出すには,花びらではなく花が咲く直前の樹皮を使うのが良いと言われます。
桜餅は関東と関西で作り方,形状が異なりますが,いずれも塩漬けにしたオオシマザクラの葉が使われています。オオシマザクラの葉は柔らかく毛がなく,よい香りがし,餅と一緒にそのまま食べることもできます。
桜の樹皮は漢方では桜皮(おうひ)といい,ヤマザクラやソメイヨシノの樹皮を天日で乾燥させて用います。咳止め,痰きり,蕁麻疹の治療などに使われます。
サクラの恩恵を受けているのは,人間ばかりではありません。
花にはアゲハチョウやギフチョウ,セイヨウミツバチ,メジロなどが吸蜜に訪れます。葉を利用する生物は非常に多く,幼虫時代に葉を食べる蛾の仲間だけで130種類を超えています。その中には開張10センチにもなる大型のクスサンや,ミノムシとして知られるオオミノガ・チャミノガ,卵の殻のような丸く硬い繭をつくるイラガのなかまや,シャクトリムシとも呼ばれるシャクガのなかまも含まれています。ナナフシやキリギリスは幼虫,成虫ともにサクラの葉を食べます。カメムシやカイガラムシ,アワフキムシのなかまは葉や枝の汁を吸います。
サクラの枝,幹にはノキシノブなどのシダ類が着生し,ナラタケ,マンネンタケなどのキノコも生えます。うどん粉病菌などサクラにとって好ましくない菌類に寄生されることもあります。
一方でこのようなサクラを利用する生物たちを利用して生きる生物もいます。カマキリやカリバチのなかまはサクラに来る昆虫を食べ,テントウムシの一種キイロテントウはうどん粉病菌を食べます。
サクラを利用する生物は現在分かっているだけで250種以上と言われ,現在でも新たな種の発見が続いています。これらの生物が互いにどう関係し合っているのかについても完全には解明されていません。
1本の木を取り巻く小さな生物たちの多様な生態系は,何もサクラに限った話ではありません。わたしたちに身近な,よく知られていると思われている植物にも未だ多くの見知らぬ生物が息づいているかも知れないのです。
サクラの生物学
現在日本に自生している野生のサクラは,エドヒガン群・ヤマザクラ群・マメザクラ群・チョウジザクラ群・ミヤマザクラ群にまとめられます。
エドヒガン群にはエドヒガンがあります。がくの筒状の部分の基部が球状に膨らんでいること,枝や葉の柄・花の柄などに斜めに多くの毛が生えること,葉のふちの鋸状のぎざぎざが他より細かいことなどで見分けられます。関東地方でも自生しており,春の彼岸の頃に花が咲くことからこの名前があります。寿命の非常に長いものが多く,数百年から千年にも達するといわれています。現在各地で古木と呼ばれる木の多くがエドヒガンです。
ヤマザクラ群にはヤマザクラ・オオヤマザクラ・カスミザクラ・オオシマザクラが含まれます。花と葉が同時に出るものが多く,ヤマザクラとオオヤマザクラでは葉の色は多くの場合赤茶色です。ヤマザクラは個体変異が大きく,花の色や形、若葉の色などに違いがみられます。オオシマザクラはソメイヨシノを含め,現在栽培されている栽培品種の多くの原種となったと考えられています。
マメザクラ群は低木状であまり大きくなりません。マメザクラとタカネザクラがあります。マメザクラは富士箱根地方に多いためフジザクラとも呼ばれます。葉のふちの鋸状のぎざぎざが二重になっているのが特徴です。
チョウジザクラ群も低木です。チョウジザクラがあります。がくの筒状の部分は長い筒状で,表面に直立する毛が生えています。葉や葉の柄などにも毛が多く見られます。
ミヤマザクラ群の多くは中国に分布しますが,日本海を取り巻くように分布するミヤマザクラは日本でも見ることができます。他のサクラとは花のつき方が大きく違い,数個の花が短い穂のようについています。花の時期も他より遅く,5月の末から6月に真っ白の花をつけます。
ソメイヨシノをはじめ現在わたしたちの身近に見られるサクラの多くは,野生種を交配,あるいは野生種の変異を保存してつくられた栽培品種です。
サクラはしばしば他の野生種や栽培品種と交配して雑種が生じます。この雑種のうち人間にとって美しいもの,病害に強いものなどを選んで,新たな品種として育てることが古くから行われてきました。
栽培品種では,親株と全く同じ遺伝子を持った子株を種子から育てることは難しいため,親の遺伝子を維持したい場合は接木や挿し木など,親の一部を新たな株として成長させる方法をとります。
ソメイヨシノは江戸時代末期から明治の初めに掛けて,オオシマザクラとエドヒガンの一種との交配で生まれたと言われています。誕生の経緯は残念ながらあまりよくわかっていませんが,江戸染井村(現在の豊島区)の植木屋が「吉野桜」と売り出したのが最初の記録のようです。
吉野桜の吉野とは奈良・吉野山のことで,当時全国随一の桜の名所として知られていました。東京にいながら吉野の桜が見られる,というイメージの良さも手伝ったのでしょうか,「吉野桜」は人気を博します。しかし吉野山で実際に見られた桜はヤマザクラで,「吉野桜」とは全く異なるものでした。そこで1900年,東京帝室博物館(現在の東京国立博物館)の藤野寄命が新たに「染井吉野」と名づけ,その翌年には東京帝国大学(現東京大学)の松村任三教授により学名はPrunus yedoensisと命名されました。
ソメイヨシノはふつう接木により増殖されてきました。このため多くのソメイヨシノは1本の木から増やされたクローン植物で,遺伝的多様性が乏しいと言われています。全ての木の遺伝子分析が行なわれなければ確実なことはいえませんが,遺伝子が同じだとすれば同じ地域の花がほとんど同時に咲くことも説明がつきます。
遺伝子の多様性が低いと,環境の変化や病気に対する抵抗力が低くなります。実際ソメイヨシノは天狗巣病(※3)や排気ガスに弱く,寿命はおよそ60年と,他のサクラと比べて短命だともいわれています。樹齢100年を超えるソメイヨシノが現存することも事実であり,適切な管理によって樹勢を取り戻した木もありますが,わたしたちの周りに見られるソメイヨシノの中には戦後間もなく植栽され,樹齢60年を迎えつつあるものが少なくないため,今後寿命を迎えるものが増えてくるのではないかと心配されています。
※3 天狗巣病は糸状菌の一種Taphrina wiesneri (Rath.) Mixによって起こる感染症です。枝の一部が瘤状に膨らんで大きくなり,小枝が箒のように伸びます。この部分には花がつかず,花の時期には葉が出て緑色に見えます。感染のメカニズムはよくわかっておらず,治療は今のところ病巣を見つけ次第その部分を切り取って焼却するしかありません。サクラは剪定に弱く,枝を切るとその部分から腐りやすいため,切った後には殺菌と癒合促進の処置が必要になります。
1本のサクラの大きな恩恵
地球館1階 サクラを利用する生きものたち「あなたはどれだけ知っていますか?」花を愛でるほかにもサクラは,わたしたちに多くの楽しみ,恩恵を与えてくれています。
サクラの枝・皮・葉・花びらはそれぞれ染色に使えます。花と同じ桜色をつくり出すには,花びらではなく花が咲く直前の樹皮を使うのが良いと言われます。
桜餅は関東と関西で作り方,形状が異なりますが,いずれも塩漬けにしたオオシマザクラの葉が使われています。オオシマザクラの葉は柔らかく毛がなく,よい香りがし,餅と一緒にそのまま食べることもできます。
桜の樹皮は漢方では桜皮(おうひ)といい,ヤマザクラやソメイヨシノの樹皮を天日で乾燥させて用います。咳止め,痰きり,蕁麻疹の治療などに使われます。
サクラの恩恵を受けているのは,人間ばかりではありません。
花にはアゲハチョウやギフチョウ,セイヨウミツバチ,メジロなどが吸蜜に訪れます。葉を利用する生物は非常に多く,幼虫時代に葉を食べる蛾の仲間だけで130種類を超えています。その中には開張10センチにもなる大型のクスサンや,ミノムシとして知られるオオミノガ・チャミノガ,卵の殻のような丸く硬い繭をつくるイラガのなかまや,シャクトリムシとも呼ばれるシャクガのなかまも含まれています。ナナフシやキリギリスは幼虫,成虫ともにサクラの葉を食べます。カメムシやカイガラムシ,アワフキムシのなかまは葉や枝の汁を吸います。
サクラの枝,幹にはノキシノブなどのシダ類が着生し,ナラタケ,マンネンタケなどのキノコも生えます。うどん粉病菌などサクラにとって好ましくない菌類に寄生されることもあります。
一方でこのようなサクラを利用する生物たちを利用して生きる生物もいます。カマキリやカリバチのなかまはサクラに来る昆虫を食べ,テントウムシの一種キイロテントウはうどん粉病菌を食べます。
サクラを利用する生物は現在分かっているだけで250種以上と言われ,現在でも新たな種の発見が続いています。これらの生物が互いにどう関係し合っているのかについても完全には解明されていません。
1本の木を取り巻く小さな生物たちの多様な生態系は,何もサクラに限った話ではありません。わたしたちに身近な,よく知られていると思われている植物にも未だ多くの見知らぬ生物が息づいているかも知れないのです。
上野の桜と桜守の会
科博クジラ脇のアマギヨシノ(4月1日撮影)日本の花見の歴史は長く,古くは『日本後紀』や『源氏物語』『徒然草』などに書き残されています。安土桃山時代には豊臣秀吉が京都,醍醐寺で1000人を越える配下とともに大規模な花見の宴(醍醐の花見)を催しました。
東京・上野が現在のような桜の名所としての道を歩み始めたのは江戸時代の初期。家康から家光までの徳川三代に仕え,徳川家の菩提寺として上野に寛永寺を建立した天台宗の僧,天海が上野の山の景観向上のため,奈良・吉野山から山桜の苗を取り寄せて山内に植えさせたのが最初とされています。
この桜は一般にも開放されましたが,花の下での飲食禁止,鳴り物禁止,暮6つの鐘とともに門外へ退場しなければならないと定められており,現在の花見とは様相が全く異なったものであったようです。
その後8代将軍徳川吉宗が江戸の各地に桜を植え,花見を奨励したことで,現在に近い形の花見が庶民に広まりました。
江戸時代の末,1868年7月,旧幕府軍彰義隊と新政府軍との間で戦われた上野戦争により,寛永寺は本堂にあたる根本中堂をはじめとする主要伽藍の多くを焼失しました。その跡地は1873年に公園とされ,汽車の煤煙による公害や関東大震災,戦争など様々な困難を経つつも,地域の人々などの手によって桜は植え継がれ,現在の形にまで育成・整備されてきました。
現在では3月下旬から4月上旬に開花するソメイヨシノをはじめとして,早春にはカンザクラのなかま,ソメイヨシノの後にはカスミザクラなど,50を越える種類の桜を次々に楽しむことができます。
国立科学博物館にも,上野公園内ではここでしか見られない品種「アマギヨシノ」があります。アマギヨシノはソメイヨシノの起源を研究する過程でつくられたもので,オオシマザクラとエドヒガンとを人工的に交配したものです。ソメイヨシノよりやや大振りの,真っ白な花を咲かせます。
近年上野公園では,先に取り上げた「ソメイヨシノの寿命は60年」説や,説の真偽はどうあれ老化し,樹勢が衰えた木が増えるなど,桜の今後が心配されることも増えてきました。
そこで2006(平成18)年,上野の桜を守り育て,また桜について学ぶことを目的とした「上野桜守の会」が上野地区有志によって結成されました。現在ある桜の健康管理,若木の育成,他の地域から譲り受けた苗の育成のほか,現状の調査のための観察会,桜の勉強会などを行っています。
美しい桜を来年も,その先も末永く楽しむために。桜を学び,守っていく活動を是非ご理解,またご支援ください。
(研究推進課 西村美里)