皇居のタヌキ その生態 (協力:動物研究部 川田伸一郎)

皇居の杜にタヌキがいた!

東京都千代田区一番一号 ― 皇居。丸の内や日本橋など再開発の進む都心のすぐ傍にあり,上空から見ると大都会に浮かぶ緑の島のようにも見えるその場所には,今では都内ではほとんど見られなくなった貴重な動植物が生息しています。
国立科学博物館が1996年から2000年までの5年間行った生物調査では,クマムシ類・ササラダニ類・ワラジムシ類,ミミズ類など土壌性の小動物やガ類・ハバチ類などの昆虫類,さらに子嚢菌という菌類などで次々と新種が発見され,トンボ類ではベニイトトンボ・コサナエ・アオヤンマなど,現在東京都ではほぼ絶滅状態にあると考えられている種類が生存していることも判りました。それらを含めて,全体では3,638種の動物と1,366種の植物が確認されています。
哺乳類ではアズマモグラ・アブラコウモリ・ハクビシンがいずれも野生の状態で生息していることが明らかになりました。タヌキの糞と思われるものもこの時見つかっていましたが,実際の姿を確認するまでには至りませんでした。

タヌキ骨格タヌキ骨格

皇居の中でタヌキを見たとする報告は,皇居を警備する皇宮警察の職員によって1970年代から複数回もたらされてきました。1990年代半ばからは特に数が増えてきました。宮内庁では2005年から,皇居内でタヌキを偶然目撃した場合その記録を残すようにしました。科学博物館では宮内庁からこうした情報を得て,2006年からタヌキの生息状況,及び生態の調査を開始しました。
タヌキには「ため糞場」と呼ばれる決まった場所で毎回糞をする習性があります。ため糞の分布状況を調べることで,タヌキの行動範囲を大雑把に予測できます。
ため糞場やタヌキの通り道と予想された場所に定点カメラを設置,何か動物がカメラの前を横切る度に自動的にシャッターが切れるようにしました。その結果,ハクビシンや鳥,ネコなどが写ってしまったものもありましたが,多くの場所ではっきりと,タヌキの姿を捉えることに成功しました。複数匹のタヌキが一緒に写ったものや,その年に生まれたと思われる子タヌキが写ったものもあり,皇居内にタヌキが生息・定着していることが確実に,また皇居内で繁殖しているらしいことをうかがい知ることができました。

タヌキの行動・食性調査

2007年,餌で誘い込まれトラップに掛かった1匹のタヌキ(成体・オス)に,電波発信機を取り付けて放しました。以降毎月,1ヶ月に連続して3夜,発信機からの電波を頼りにタヌキの居場所を追跡する調査を行っています。

調査は皇居内の3地点で,タヌキからの電波を受信するためのアンテナと受信機を使って行います。15分毎に電波の角度,強度,及び安定性を計測,記録します。
実際には電波をキャッチすると受信機から「ピッ,ピッ」と音がするのですが,その音はタヌキのいる方向にアンテナが向いている時に大きくなるため,様々な方向にアンテナを振って音の大きさを比較することで角度がわかります。またアンテナからタヌキまでの距離が近いときにも音が大きくなります。
安定性は連続する電波のパルスが同じ強度で来ているかどうかで調べます。変化がなければタヌキは休息しており,電波強度に揺れがあればタヌキは活動しているとわかります。
もし音が弱くなったり聞こえなくなってしまった場合は,タヌキとの距離が離れすぎたり,タヌキと計測者との間に何らかの障害物があることを意味しているため,計測地点を移動します。3ヶ所それぞれで連絡を取り合ってデータを共有し,三角形の内側に常にタヌキが入っているようにします(図)。

これまでの調査から,冬から春,春から初夏へと暖かくなっていくにつれ,タヌキの行動範囲は広がっているらしいことが判りました。しかしこのタヌキは皇居から脱出することはありませんでした。
皇居内には道路や門など人間のための構造物・仕切りがありますが,水の枯れた地下水路や土管などを利用して,タヌキは皇居内を自由に動き回ることができるようです。

タヌキの糞の中に残されている,消化されずに排せつされた餌の残りかすから,タヌキが何を食べたのか,1年を通じて食べ物がどのように変化するのかを探る調査も行われました。ため糞場は皇居の全域に散らばっており,特に吹上地区に多く見られました。
ため糞場から毎月10個程度の糞を回収し,糞に含まれているものが動物なのか植物なのか,或いは人工物なのかを同定しました。
タヌキはその季節に応じて,様々な動物・植物を食べていることが判りました。

アンテナと受信機写真:アンテナと受信機
図:3地点調査概念図

動物質で最も目立つのは昆虫でした。オサムシやシデムシ・ハネカクシの仲間など,見つかった種は60種近くにもなりました。哺乳類が餌とされることは少なく,アズマモグラとクマネズミが僅かにみられました。鳥は1月~4月に多く,カラスやハト・サギ類・メジロなどが見つかっています。タヌキが捕らえた,というのではなく,死体を漁ったのでしょう。爬虫類・両生類はいずれも夏にごく僅か,カタツムリやタニシなどの貝類は年間を通じて散発的にみられました。
植物質の餌は主に果実や種子です。ムクノキ・タブノキ・イチョウなどの種子,またはそのかけらが出てきました。植物の葉も一部利用しているようです。
人間の食べ物や家畜の飼料に由来するものは見つからず,人工物もビニール片などが若干見つかっただけでした。皇居のタヌキはヒトに依存することなく,自然の餌だけで生きていくことができているようです。

参考:
Bulletin of the National Museum of Nature and Science Series A (Zoology), 34(2)

かつてはすぐ傍に-伝承の中のタヌキたち

ここでは一旦皇居のタヌキたちから離れ,関東地方に伝わるタヌキの伝説,民話をご紹介しましょう。

先ず江戸時代の随筆『甲子夜話』に登場する『茂林寺の釜』。
室町のころ,今の群馬県の茂林寺という寺に守鶴という名の和尚さんがいました。守鶴はいくら汲んでも決してお湯がなくならないという茶釜を持っており,しかもそのお湯は飲む人の好みに合わせて,熱くなったり温くなったりするという不思議なものでした。

ところがある時,守鶴が昼寝をしている時,守鶴のお尻から大きな尻尾がはみ出しているのをお寺仲間が見てしまいます。実は守鶴はタヌキの化身であり,茶釜の不思議もタヌキの術によるものでした。正体を知られた守鶴は茶釜と共に寺を出て行きました(茶釜を置いて行った,とするものもあり,この場合残された茶釜からやがて耳が生え尻尾が生え,これも守鶴が化けていたものだったとされています)。
この物語から派生したものに,同じく群馬県の昔話『分福茶釜』があります。

證誠寺とタヌキ塚写真:證誠寺とタヌキ塚
協力:木更津市狸囃子保存会

人間の行動が原因であったらしいものがタヌキによるものとして言い伝えられたのが,千葉県木更津市に伝わる『證誠寺のタヌキ囃子』です。
證誠寺は江戸時代の初期につくられた浄土真宗の寺ですが,創建当初寺の周りは鈴森と呼ばれる昼なお暗い竹藪になっていました。
ある夜のこと,この證誠寺の和尚さんがふと夜中に目を覚ましますと,何か外の方でがやがやと騒ぐ声が聞こえてきます。何だろうと戸に開いた節穴から覗いてみますが何もありません。気のせいかと寝床に戻ると再び声が,今度はだんだん大きくなるようです。耳を澄まして待っていると,その声は何か音楽のようでした。
再び節穴から覗いてみると,何と大小百匹はいようかというタヌキがそれぞれ自分の腹を叩きながら繰り出して来ました。木の葉でつくった笛を吹くものもいます。そのタヌキたちが声を揃えて,「證誠寺山のペンペコペン,おいらの友達やドンドコドン」とはやし立てながら,やがて本堂の周りを回り出しました。それがあまりにも面白いので,和尚さんは戸板を叩きながら一緒になって歌い騒ぎました。
次の晩も,また次の晩も,競い合うようにタヌキは腹鼓ではやし,和尚さんは戸板で歌いました。しかし4日目,和尚さんがいくら待っていてもタヌキは現れません。次の朝辺りを探してみると,腹を叩き過ぎたらしいタヌキのリーダーが,お腹の皮が破れて死んでいるのを見つけました。哀れに思った和尚さんははタヌキを葬ってやり,證誠寺では現在もそのタヌキを葬ったというタヌキ塚や,この言い伝えをモチーフにした野口雨情の童謡『證城寺(歌詞では架空の寺として誠の字を城に変えています)のタヌキ囃子』の歌碑を見ることができます。

證誠寺周辺の寺の多くは真言宗で,木更津の浄土真宗の寺は現在でも證誠寺が唯一の存在です。浄土真宗の法要では現在でも雅楽を用いることがありますが,音楽を用いたこれまでの在来の宗派と異なる賑やかな法要は,村人たちの耳にはさぞかし不思議に聞こえたことでしょう。これが話題となりいつの頃からか,タヌキ囃子の伝説に変わっていったのかも知れません。

また,直接『タヌキ』という言葉は使われていませんが,小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の怪談『むじな』は,皇居から西へ直線で約2km,同じくタヌキの生息が明らかになっている赤坂御用地のすぐ脇にある外堀通りの紀伊国坂を舞台にとった物語です。
その書き出しは,『東京は赤坂へと続く道に,紀伊国坂という坂がある。坂の一方には深く広い堀,もう一方には皇居の長く堂々たる塀が続いている(筆者訳,一部略(以下同))』。皇居の塀とは現在の赤坂御用地,堀とは江戸城外堀のひとつ,弁慶堀のことだと読めば,現在も残る実在の港区赤坂・紀伊国坂と重なります。
街灯や人力車が登場する以前の時代,この界隈は夕暮れ以降暗く,寂しい場所となっていたため,近隣の者たちは紀伊国坂を通るくらいなら遠回りをすることにしていました。ところがある夜ひとりの老商人が,人通りのない紀伊国坂を不運にも通りかかることとなってしまいます。そして商人は坂を徘徊する『むじな』の化けた妖怪『のっぺらぼう』に脅かされることになるのですが,この『むじな』,地方によってアナグマ,タヌキ,またハクビシンをさすこともあると言われています。
特に東日本でタヌキ,西日本でアナグマを指す傾向が強いとする説もあり,後に赤坂御用地となる皇室の杜に住み着いたタヌキが,当時の人々に目撃され,このような怪談が生まれたのかもしれないと想像すると,現在都心に回帰しつつあるタヌキたちに一層懐かしみが湧いてくるような気がします。

科博からのお知らせ

国立科学博物館では7月23日(水)から8月31日(日)までの約2ヵ月間,科博NEWS展示『皇居のタヌキとその生態』を公開しています。

会場は日本館1階,中央ホール。
皇居で死んだタヌキの剥製や,皇居に暮らすタヌキを直接カメラで捉えた暗視映像などの貴重な資料のほか,実際にタヌキの糞から取り出された食べかすから,タヌキが食べたのはどんな生物だったのかを推理するクイズ形式のハンズオンコーナーもあります。また,先に紹介した行動追跡・食性調査の結果や,現在も続いている調査の最新の状況もお知らせしています。
夏休み中の開催でもあり,マスコットキャラクターとして要所に登場するタヌキが,小さなお子様向けに判りやすいミニ解説をご提供しています。

8月23日には,実際に皇居で調査を行ってきた研究者によるトークショーも開催予定です。事前のお申し込みは必要ありません。
この機会に是非,お立ち寄りください。

(研究推進課 西村美里)

科博NEWS展示『皇居のタヌキとその生態』
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