謎の植物 ナンジャモンジャゴケ(協力:植物研究部 樋口正信)
ナンジャモンジャゴケとは
『ナンジャモンジャゴケ』という名前を聞いたことがありますか?植物研究部陸上植物研究グループの樋口正信グループ長は,2008年9月に実施した中国雲南省での調査中に,ナンジャモンジャゴケを発見しました。
今年はちょうど,名前もその姿もとても奇妙なこの植物が新種として記載(※1)されてから50年目にあたります。今回のホットニュースでは,ナンジャモンジャゴケのユニークさについて解説します。
ナンジャモンジャゴケ(提供 樋口正信。以下同)1952年,名古屋大学の高木典雄教授(当時。以下同)が北アルプスの餓鬼岳で未知の植物を採集しました。その植物は一見コケのようでしたが,ご自分の専門とする蘚類ではなく苔類と考え,それを苔類の専門家である,服部植物研究所の服部新佐博士(※2-1)に送って調査を依頼しました。
しかし,服部博士はその植物が何なのか,そもそもコケなのかどうかも判りませんでした。詳しくは後に述べますが,外見はコケのようでありながら,確かにコケだという決め手になる特徴がほとんど見つからなかったためです。
1956年,同じく北アルプスの白馬岳でも「謎の植物」が採集されました。餓鬼岳の標本はほんの僅かでしたが今度はまとまった量が採れ,改めて他の植物との比較研究ができるようになりました。「謎の植物」はその後藻類や地衣類,シダ類の研究者に送られましたが,結局そのどれとも違う,ということ以外正体に繋がる情報は得られませんでした。服部博士は仕方なく,「得体の判らないもの」という意味で取り敢えず,「ナンジャモンジャゴケ」と名前をつけます。
発見者の井上浩博士(※2-2)は当時東京教育大学大学院生で,服部博士と共同でこの植物の研究を行いました。その結果,コケ植物の中でも苔類(詳細次項)のコマチゴケ目のものに似ている点があることから,完全に納得できたとは言えないながらも,1958年に苔類の新属・新種,ナンジャモンジャゴケ属ナンジャモンジャゴケ(Takakia lepidozioides S.Hatt. & Inoue)として発表しました。
※1 新種の記載とは,これまで知られていたどの生物とも異なる生物を発見した時,「どんな生物か?」「これまでに知られていた生物に見られず,この生物にだけ見られる特徴は何か?」を示し,その生物に学名をつけて論文を発表することです。
学名は属名と種小名からなります。これは分類学の父と呼ばれるリンネにより創案された二名法と言います。このシステムは例えれば,人の姓名のようなものです。
まったく同じ学名を2種類以上の生き物に与えることはできません。また一度つけた学名を変更することも原則としてできません。植物の学名の取り扱いは,国際植物命名規約というルールで細かく規定されています。
ナンジャモンジャゴケの属名Takakiaは第一発見者の高木博士を記念してつけられたものです。
※2-1,2 服部新佐博士と井上浩博士は,当館の初代と2代目のコケ植物の研究者です。服部博士は1941年~1945年(旧名称東京科学博物館),井上博士は1962年~1989年にそれぞれ勤務されました。国立科学博物館のコケ植物研究は現在,3代目の樋口正信(植物研究部)に引き継がれ続けられています。
コケ植物の特徴
コケ植物(コケ植物門)は維管束を持たず,胞子で増える陸上植物です。多くは小型で高さは大きくても数センチ程度,色は緑が中心ですが赤色や褐色のものもあります。
一般に湿った環境を好み,森林や岩場,渓谷などでよく見られます。特に雲や霧に覆われていることの多い雲霧林では,地表や木の幹にマットのように一面にコケが着生することがあります。多くのコケ植物は配偶体と胞子体というふたつの姿(世代)を繰り返しています。私たちが普通見慣れている姿は配偶体です。配偶体は有性世代とも言われ,精子をつくる造精器,卵子をつくる造卵器を持ち生殖に関与します。ひとつの株に造精器と造卵器が揃っている種(雌雄同株)と,どちらか片方ずつしか持たない,雄株と雌株に分かれる種があります(雌雄異株)。
雨などによって水に触れると,造精器から精子が泳ぎ出し,やがて造卵器に辿り着いて受精し,受精卵をつくります。受精卵は配偶体に養分を依存する寄生生活をしながら発達して胞子体を形成します。胞子体は先端にある蒴(さく:胞子嚢)で胞子をつくり,成熟した胞子が放出されて発芽することで,次世代の配偶体がつくられます。
系統広場 コケ類展示の様子画像キャプションコケ植物門は伝統的に(※3),蘚類(蘚綱)・苔類(苔綱)・ツノゴケ類(ツノゴケ綱)の3つの綱に分類されます。
蘚類は配偶体の形が維管束植物に似て,茎の形をした部分と葉の形をした部分とが明確に分かれています。葉にあたる部分は茎にラセン状につくことが多く,木の葉に似た形をしています。胞子体は頑丈で長期間存在し,蒴の先端にある蓋状の構造が外れることで胞子が放出されます。ミズゴケ,スギゴケ,ヒカリゴケなどが蘚類に属します。
苔類も,茎と葉にあたる形がはっきりしたものが大半ですが,ゼニゴケのように平べったい葉状のものもあります。一般に,葉の形は丸味があり,深く裂けることが多く,背面に二列,腹面に一列に茎につきます。胞子体は脆弱で比較的短期間しか存在しません。蒴が4つに裂けてそこから胞子を出すものが多く見られます。ゼニゴケやコマチゴケなどが含まれています。
ツノゴケ類の配偶体は,ゼニゴケのように葉状です。ひとつの細胞あたりの葉緑体が少なく,葉緑体にはピレノイドと呼ばれるタンパク質性の粒があります。ピレノイドは炭素を取り込むための細胞小器官で,ツノゴケ類のほかには藻類が持っていますが他の陸上植物には存在しません。胞子体は細長い角状で,熟した蒴は二つに裂けます。
ナンジャモンジャゴケは発表当時苔類であるとされましたが,現在では蘚類に分類されています。
※3 近年の形態及び分子系統の研究から,各綱をそれぞれ門とするべきとの提案も出されています。
謎のコケ ナンジャモンジャゴケへの挑戦
ナンジャモンジャゴケが苔類の新種として発表された時,根拠とされていたのは苔類のコマチゴケ目との間にみられた幾つかの共通点でした。
茎の下部から新しい茎が発達すること,枝分かれがないこと,維管束植物の根に似た構造(仮根)が存在しないことなどです。葉のつき方は一般の苔類よりも蘚類に似ているようでしたが,似ているとされたコマチゴケがもともと苔類の中で例外的に蘚類に似た形状の葉を持っていたため大きな疑問にはなりませんでした。
その後資料が集まる中で造卵器を持つものが見つかり,確かにコケ類に属することが確認されました。しかし見つかるのは配偶体ばかりで,分類の決め手となる胞子体が未発見のため,分類上の位置を確定することはできませんでした。細胞について調べると,染色体が4本(n=4)しかなく,この少なさも原始的,或いはコケ類の退化した姿と考えられました。化学成分の研究では苔類よりも蘚類に似た成分を持つことが判ったり,蘚類のクロゴケ類と似た構造を持っているという指摘も出されましたが,いずれもその所属を決める決定打とはなりませんでした。
胞子体の発見
1975年以来アリューシャン列島でヒマラヤナンジャモンジャゴケを調査していたアメリカのスミス博士がついに1990年にヒマラヤナンジャモンジャゴケの胞子体を発見しました。そして,胞子体の特徴からナンジャモンジャゴケは苔類ではなく蘚類とすること,蘚類の中では,クロゴケに近いと考え,クロゴケ綱をクロゴケ亜綱とナンジャモンジャゴケ亜綱とすることを提唱しました。
1994年には樋口(国立科学博物館)によって中国でもヒマラヤナンジャモンジャゴケの胞子体が発見されました(詳細後述)。研究の結果,蘚類の中でもクロゴケとは異なっていることを指摘し,蘚類をナンジャモンジャゴケ亜綱・クロゴケ亜綱・ミズゴケ亜綱・マゴケ亜綱の4亜綱に分けることを提唱しています。
謎は残る
遺伝子の本体であるDNAの塩基配列決定法の格段の進歩により,20世紀後半から分子系統解析(※4)が広く行われるようになりました。ナンジャモンジャゴケについても試みられ,蘚類であることなどが明らかになりましたが詳細な類縁関係は不明です。
正体不明とされたナンジャモンジャゴケも50年の間に次第に多くのことがわかってきました。しかし,例えば次のような謎が残っています。
(1)ナンジャモンジャゴケの雄植物と胞子体は未発見
(2)ナンジャモンジャゴケ類の系統関係
(3)ナンジャモンジャゴケの高い遺伝的多様性の理由
(4)胞子発芽,原糸体,原糸体からの植物体の発生過程は不明。
※4 分子系統解析とはDNAの塩基配列やタンパク質のアミノ酸配列の比較によって,生物の系統関係を推定する方法です。形態の情報が乏しい生物においては特に有効と考えられています。
研究者に聞く
国立科学博物館植物研究部では,現在もコケ植物担当の研究者が,ナンジャモンジャゴケの採集・調査・研究を行っています。現在の担当者,植物研究部陸上植物研究グループの樋口正信グループ長に,ナンジャモンジャゴケとの出会いから現在の関わりまでを聞いてみました。
Q:ナンジャモンジャゴケとの最初の出会いは,どんなものでしたか?
A:学生の頃ですが,ナンジャモンジャゴケという珍しいコケがあることを知りました。確認された資料がまだ少なかった頃で,確か賞金もかけられていたように思います。しかし,高山にあるらしい,という情報を手掛かりに探したのですが,当時は見つけられませんでした。
1994年に,中国へ調査に行ったのですが,そこで思いがけず,初めて出会うことになりました。それが世界で2例目のヒマラヤナンジャモンジャゴケの胞子体の発見となったので,幸運でしたね。
1994年,ヒマラヤナンジャモンジャゴケ発見地(遠景)Q:その時の様子を詳しくお聞かせください。
A:雲南省北部のチベットとの境界にある梅里雪山という山のふもとに調査に入りました。車の通れる道はなく,荷物を馬に積んでのキャンプ生活です。その日はなるべく標高の高いところへ行こうと氷河を目指していました。
低木の茂る斜面にある岩の露頭を調べていたところ,変わった形の胞子体のついたコケがあるなと思いましたが,初めはそれがナンジャモンジャゴケだとは判りませんでした。ルーペで見るとナンジャモンジャゴケだと判り,驚きました。
キャンプ地ではメンバーにそのことを興奮気味に伝えましたが,予期した反応はありません。専門が違う悲しさですが,いずれにしろ,その後の研究でこれがヒマラヤナンジャモンジャゴケであることが判明し,造精器をつけた雄植物と胞子体の発見はアリューシャン列島での発見に次ぐものでした。これにより,本種は予想された以上に活発な有性生殖を行っていることが明らかになりました。。
※ ナンジャモンジャゴケTakakia lepidozioidesの胞子体は今も見つかっていません。
Q:今回の中国での発見はどういう意味がありますか?
A:ナンジャモンジャゴケが生えている環境について知ることができたのが大きかったと思いますが,1994年の中国調査以降,国内では2004年に八ヶ岳で,また国外では2002年に台湾で初めて,ナンジャモンジャゴケの新しい生育地を見つけることができました。そして,今年は9月の中国雲南省の調査で今度はナンジャモンジャゴケを確認しました。
ナンジャモンジャゴケは日本の北アルプスから最初に発見され,現在までにヒマラヤ,台湾,ボルネオ,アラスカ,カナダ北西部から知られています。ヒマラヤナンジャモンジャゴケはヒマラヤとアリューシャン列島です。
これまでナンジャモンジャゴケ属の分布の中心は2種が分布するヒマラヤではないかと考えられてきたのですが,1994年のヒマラヤナンジャモンジャゴケと今回のナンジャモンジャゴケの発見を合わせると,横断山脈(雲南省北部,四川省西南部,チベット東南部を含む地域)がナンジャモンジャゴケ属の分布の中心である可能性が出てきました。
Q:ナンジャモンジャゴケ発表50年を記念した展示を企画されたと伺いました。展示に向けての意気込み,ご来館される方へのメッセージをお願いします。
A:11月23日から12月21日の予定でミニ企画展『ナンジャモンジャゴケと日本人』を開催中です。50年前に日本人により,日本から発見され発表されたナンジャモンジャゴケは,学界に大きな波紋を広げました。学説を変える発見は遠い世界の出来事ではなく,私たちの直ぐ身の回りにあることをこの例は示しています。ナンジャモンジャゴケについては未だ判っていないことも多くあります。ナンジャモンジャゴケを入口として,小さなコケの大きな世界を楽しんで欲しいですね。
Q:ありがとうございました。
(研究推進課 西村美里)