11月に南極へ ― 砕氷艦『しらせ』2代目就役(協力:海上自衛隊横須賀地方総監部)

5月30日・31日「しらせ」一般公開レポート ①

日本の南極観測に長年活躍し,老朽化を理由に昨年の夏を最後に引退した初代「しらせ」。後継となる(※1)砕氷艦,2代目「しらせ」(以降,「しらせ」と書きます)は2007年から,京都府舞鶴で建造が進められてきましたが,今年5月20日に完成,25日には母港となる,海上自衛隊横須賀基地に到着しました。

今回の「ホットニュース」では,新しい「しらせ」を中心に,南極観測の最新情報をお届けします。

しらせ海上自衛隊横須賀基地に停泊中の2代目「しらせ」

「しらせ」最大の任務は南極へ,人と物資を輸送することです。
「しらせ」の基準排水量(燃料は積み込まず,乗員は乗っている状態の艦船の重量)はおよそ12,650トン。初代と比べ約1,000トン大きくなりました。乗員は179名,加えて観測隊員を最大80名まで(初代は合計235名まで)乗せることができます。積載できる物資は約1,100トン(同1,000トン),内約600トンは燃料ですが,必要とする燃料は初代とほとんど変わらないため,純粋に約100トン分積載量が増えています。

南極を取り巻く南極海の海氷は,その多くが厚さ1メートル程度と比較的薄いものです。「しらせ」は厚さ1.5メートル(日本が南極観測を行っている昭和基地の周りのリュッツォホルム湾で多く見られる海氷の厚さ)までの氷であれば,推進力によって砕きながら3ノット(時速約5.6キロ)の速さで進み続けることができます。
厚さ1.5メートル以上の氷は,一旦艦を200~300メートル後退させた後に全速前進して氷に乗り上げ,艦自体の重さで氷を割る,ラミングと呼ばれる方法で砕氷します。初代「しらせ」の最後の任務となった2007年の南極観測では,2,600回以上のラミングが行われました。

「しらせ」は初代の時代から,オーストラリア・南極間の往復の航海の途上,海洋環境の観測を行ってきました。
そのひとつが,海底に向けて音波を発射し,反響で深度を測る音響測深を利用した海底地形探査です。初代では艦が航行した真下の深度を知ることしかできませんでしたが,新しい「しらせ」には艦の左右方向に広がった扇形の海域の深度を同時に測ることができる,マルチビーム音響測深機が搭載されており活躍が期待されます。

※1 初代「しらせ」の引退後,昨年11月に出発した第50次の観測隊は,オーストラリアの民間砕氷船「オーロラ・オーストラリス」をチャーターしました。「オーロラ・オーストラリス」は後述する日本のかつての砕氷艦「ふじ」とほぼ同じ大きさの船で,乗員・観測者合わせて140名を輸送することができます。日本が使用したのはこのうち,観測隊40名分です。

5月30日・31日「しらせ」一般公開レポート ②

11月の日本出港から4月中旬の帰港まで,約5ヶ月間日本を離れる「しらせ」。航路上や南極の自然環境に悪影響を及ぼさないよう,また乗員が安全・快適な航海生活を送ることができるよう,さまざまな設備が用意されています。

初代「しらせ」と比較して当代「しらせ」最大の特徴のひとつと言えるのが,環境に配慮した艦,「エコシップ」であるという点です。
航行中に出たゴミを艦外へ捨てることのないよう,ゴミ処理施設が艦内に新たに設けられました。食材くずなどの生ゴミはバクテリアを使って分解,紙ゴミなどの可燃ゴミは焼却炉で焼却処理します。ガラスは破砕,缶は潰します。ビニールや発泡スチロールなどは圧縮,粉砕して容積を減らします。
また,推進エンジンの一部のエネルギーを,艦内の電力として使うよう設計されています。

観測隊員の部屋は2人部屋です。2段ベッドが1台,それぞれが使える棚つきのデスクと椅子もあります。

食事は乗組員用,隊員用の食堂でそれぞれとります。隊員用は隊員全員が同時に利用できますが,乗組員用は人数分の席がないため交代で食事をします。厨房はひとつで,乗組員・隊員全員分の食事を1度に調理できます。

洗濯は全自動洗濯機もありますが,艦が揺れて斜めになると止まってしまいます。水も自動的に排出されてしまうので,揺れが酷い時は手で洗い,二槽式洗濯機の脱水槽で脱水だけを行っています。

可燃ごみ焼却炉と観測隊員用の寝室上 可燃ゴミ焼却炉
下 観測隊員用の寝室

生活する上で必要な真水は,海水を沸騰させてつくります。燃料の節約のため,気圧を低くして沸点を40度まで下げて,殺菌剤を入れています。また,感染を防止するため陸地付近の海水は使わず,遠洋や,低温のため微生物の少ない南極近くの海水を使うようにしています。

風呂には浴槽とシャワーがあります。航海中,真水は貴重なため浴槽を満たすお湯は海水です。浴槽で温まった後,真水のシャワーで髪や身体を洗います。

狭い艦内での生活ではストレスが溜まったり,運動不足にもなりがちです。ルームランナーや筋トレ機器を備えた保養室が用意され,乗組員・隊員を問わず誰もが利用できるようになっています。
初代しらせでは特別な運動設備はなく,荷物を積み込む船倉の片隅にトレーニング機器を持ち込んだり,甲板を走ったりしていました。

ブリザードの時でなければ,南極でも屋外で運動することができるそうです。

航海中の万一の病気や怪我,歯のトラブルも,艦内の医務室で対応が可能です。レントゲンや超音波診断,胃カメラなどの検査のほか,全身麻酔での手術もできます。
艦内で対応できない重症の場合は,国内では近くの陸地の医療機関へヘリで搬送することになります。

昭和基地と日本の南極観測

日本の南極観測は,1957年~1958年,国際地球観測年に伴って幕を開けました。

第2次世界大戦から僅か十数年,敗戦国が観測に参加することに対して反対する国もあったといいます。最終的には参加が許されましたが,観測担当場所として割り当てられたのは,氷の状況から船舶での接岸が非常に難しく,気候も厳しい場所でした。
それでも国際的な観測の一端を任されたことは,当時の日本にとっては国際復帰の大きな一歩であり,国民を勇気づける出来事でもありました。

1957年,初代砕氷船「宗谷」が東オングル島沖に接岸。基地を設営して「昭和基地」と名づけました。「宗谷」の砕氷能力は充分とは言い難く,氷に閉じ込められてソ連(当時)の砕氷船に救助されたり,接岸を断念して引き返さざるを得なかった年(※2)もありました。

南極産の鉄隕石「しらせ」一般公開にて展示された南極産の鉄隕石

しかし南極に関する日本の国際的な評価・発言力が観測年参加で高まったことは事実です。日本は1961年,南極条約(南極における領有権の主張の凍結,軍事利用の禁止,科学調査の自由などが定められています)に制定と同時に署名しており,その後の条約締約国の会議でも主要な役割を果たしています。

1962年の「宗谷」退役後,1965年には新たな砕氷艦「ふじ」,1982年には初代「しらせ」が就役しました。「宗谷」から「ふじ」への交替に伴う中断はありましたが,1965年以降は44年間,1年も休むことなく観測隊を南極へ送り続けています。南極でこれほど長期に渡って継続観測を行っている国は他になく,今後とも引き継いで行くべき貴重な経年観測データが収集されています。

日本隊が担当する観測範囲には,2つの大きな特徴があります。
第1は,数多くの隕石が採集できることです。
日本が南極で採集した隕石は,2000年まででおよそ16,000個。月や火星由来のの珍しい隕石もあります。アメリカも約11,500個を採集していますが,その他の国の担当範囲では隕石はほとんど見つかっていません。
南極以外で発見された隕石も合わせると,現在世界で確認された隕石はおよそ36,000個。日本はその半分を超える20,000個近くを保有する,いわば世界一の「隕石大国」です。日本の国土上で発見された隕石が僅か50個程度ですから,南極での発見数の多さがむしろ異常に思えるほどです。

隕石が何処に落ちるかはランダムで,南極だけに特に落ちやすい訳ではありません。しかし南極には他の地表にはない,地表を覆う厚い雪と氷床(※3)があります。南極に落下した隕石は雪に受け止められ,雪の中へ沈み込んで行きます。
氷床は高いところから低いところへゆっくりと流れ出し,海岸線へたどり着くと氷山となります。ところが昭和基地の傍では,標高1800メートル級のやまと山脈など3つの山地・山脈が海岸への途を遮り,氷を堰き止めています。気温は氷点下ですが,強風と直射日光が氷は蒸発させるため,隕石が露出・集積されたと考えられています。
やまと山脈では1回の調査で3,500個以上の隕石が発見されたこともあります。アメリカが10,000個を超える隕石を採集できたのも,南極横断山脈のふもとに基地を持っているお陰です。

もうひとつの特徴は,オーロラ(※4)が観測できることです。
極地の象徴のようにも思われるオーロラですが,極地であれば何処でも観測できる,という訳ではありません。オーロラはしばしば南北の磁極(※5)を取り囲み,太陽と逆方向に引き伸ばされた卵形(オーロラオーバル)の帯の内側に分布します。日本の昭和基地は磁極との位置関係からオーロラオーバルの内側に入り易いのです。

※2 観測隊は全員撤退しましたが,犬ぞり用の樺太犬15頭が取り残されました。ほとんどの犬が死亡あるいは行方不明となった中,翌年タロ,ジロの2頭の生存が確認され,大きな話題となりました。タロの剥製は現在北海道大学で,ジロは当館日本館2階でそれぞれ展示されています。

※3 表面に近い100メートル程度までは降り積もった雪やダイヤモンドダストですが,それより深いところでは上層の雪の重さで氷となっており,厚さは最大4,000メートルにも達しています。

※4 オーロラは太陽から常に吹き出しているプラズマ(太陽風)と,地球の磁気圏との相互作用で発生します。プラズマが磁力線に沿って南北両極に向けて流れ込み,上空の大気中で酸素分子や窒素分子と衝突すると,プラズマが持っていたエネルギーが分子に移行して,分子の状態が不安定になります。分子が元の状態に戻ろうとする時,このエネルギーが光の形で周囲に放出されてオーロラとなります。

※5 磁極は北半球・南半球で各1ヶ所ずつ,磁気の方向が垂直になる場所です。方位磁針の各極が指す方向にあります。地磁気の変動によって位置は変化しており,例えば2000年1月1日時点では,南緯64度31分,東経138度26分にありました。

氷のタイムカプセルから

2009年4月,南極の氷床の下で150万年以上に渡って外界の大気や光,栄養供給から遮断されていた湖の中で生物が生き延びていたとする研究が,アメリカの科学誌『サイエンス』に発表されました。
湖自体は1960年代から存在を知られていましたが,氷床を掘削して湖まで到達することは難しい上,掘削によって湖の環境を汚染する危険もあったため,これまで詳しい調査は行われませんでした。
大陸東部,テイラー氷河の末端(南緯77度72分,東経162度27分)では,赤茶けた水が氷河の下から流れ出しており,その色から『血の滝』と呼ばれてきました。水源は約4km離れた,厚さ400mの氷の下にある湖でした。かつての海が150~400万年前の氷河の拡大によって閉じ込められ,最低でも150万年間密閉されてきた湖です。
ハーバード大などのチームは今回,血の滝の水を採集し,酸素をほとんど含んでいない湖水の中で,最低でも17種類の微生物が生息していることを明らかにしました。

血の滝2006年に撮影された『血の滝』(Peter Rejcek/National Science Foundation)

光もない,酸素もない,外部からの栄養供給もない湖で,微生物はどのようにして生き延びてきたのでしょうか?
遺伝子分析と硫酸塩中の酸素同位体分析の結果,それらは酸素の代わりに硫酸塩を呼吸に利用する微生物に近い種類であることがわかりました。とは言っても湖水に含まれる硫酸塩を直接呼吸している訳ではなく,硫酸塩中の硫酸イオンを代謝する独自のシステムを持っているようです。
湖を覆う氷床は移動に伴って,周囲の岩盤を次第に削り取ってきました。岩盤は豊富な鉄を含んでおり,微生物の硫酸イオンの代謝に伴う還元反応により,鉄は鉄イオンとなって水中に溶け込みました。『血の滝』の赤茶色の正体は,地上の空気に触れたために錆びた,この鉄分の色だったのです。

酸素や光に依存しないこの微生物の存在は,たとえばかつて地球が凍結していた時代を生物がどのようにして生き延びたのかを考えるヒントになる可能性があります。火星の永久凍土の下に,似た生物が見つかるかもしれないと期待する研究者もいます。

過去の地球を知るヒントを与えてくれるのは,閉ざされた湖ばかりではありません。
南極の氷床の中には,氷が雪として降り積もった当時の大気がそのまま閉じ込められています。大気中にはその時代に生息していた微生物や,菌類の胞子・植物の花粉などが含まれており,当時の気候を知る手掛かりとなります。人間が活動を開始した後の大気であれば,温室効果ガスの増加もわかります。
日本隊は1995年から1996年に掛けて,深さ約1500メートル,時代にして34万年分の氷床の掘削に成功しました。採取した柱状の氷のコアの分析から,過去34万年間の大気中の二酸化炭素濃度と,気温の変動に密接な関係があることがわかりました。特に氷期から間氷期に向かう温暖化の時代には,温暖化によって二酸化炭素の濃度が上がり,増えた二酸化炭素が更なる温暖化を促進するという相乗効果が確認できました。

日本隊は更に2006年,深さ3,000メートルを越える掘削にも成功しました。これはおよそ70~100万年分にも達し,世界でも最も古い氷のサンプルのひとつです。

(研究推進課:西村美里)

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