トキ野生復帰への挑戦 ― 2回目の試験放鳥を控えて (協力:動物研究部 西海功)
トキ,第2回放鳥へ
トキ,Nipponia nipponは,コウノトリ目トキ科に属する鳥です。
全長(くちばしの先から尾羽の先までの長さ)は約75センチ(佐渡トキ保護センターによる。以下同),翼開長(翼を広げたときの左右の翼の端から端までの長さ)は約140センチ,体重は1.6kgから,大きいものでは2kgになります。
色は全身ほぼ白ですが,翼の裏側は柔らかな桃色でこの色を指して朱鷺色と呼びます。繁殖期は春から夏で,この時期には首の周りから黒っぽい分泌物を出します。この黒いものをくちばしを使って頭や翼,背に塗りつけるため,繁殖期のトキは体の上半分を中心に灰色になります。
日本では1981年,当時野生に残されていた5羽を捕獲し,先に捕獲されていた1羽と合わせた6羽で飼育,人工繁殖を試みました。しかしいずれも成功しないまま,2003年最後の1羽の死亡と共に,国産のトキは絶滅しました。
現在野生では中国に生息する約500羽を残すのみとなっており,世界的にも絶滅の危機に瀕している種のひとつです。
婚姻色のトキ(国立科学博物館蔵,非公開)日本産トキが最後の1羽となり,高齢のため繁殖も絶望視されていた1999年,中国産のトキ2羽が日本に贈呈されました。
中国のトキは日本のトキと全く同じ種類(2004年,環境省による遺伝子検査で確認)です。この2羽を人工繁殖させ,その子を更に中国の個体とペアリングさせて数を増やすことで,国内でのトキの個体数増加,将来的な野生復帰が目指されることになりました。
同年初のヒナが誕生,その後も順調に続いた個体数の増加は報道などでも繰り返し取り上げられているとおりです。
繁殖に続く野生復帰へのステップとして,昨年9月に10羽のトキが佐渡市内から野生に放たれました。残念ながら1羽は死亡,1羽は放鳥後行方が判らないままですが,残りの8羽は佐渡市内あるいは北陸各地で無事が確認されています。
今年も今月29日,トキの放鳥が行われることが決まっています。昨年は果たせなかった野生での繁殖が大きな課題になっているほか,昨年に続き野生でのトキの生態の理解に繋がると期待されます。
身近な鳥から野生絶滅へ:トキ受難の歴史
トキは元々日本を含めて中国・台湾・朝鮮半島・ロシアなど,東アジア一帯で普通に見ることのできる鳥だったといいます。
日本では江戸時代には北海道から九州までほぼ全域に生息していました。泥の中に住むカエルやドジョウ,タニシなどを長いくちばしで探り出して食べるなど,水田の環境に適応していました。当時の人々にはイネを踏み荒らす害鳥として嫌われたほど身近な存在だったのです。
ところが19世紀半ば以降,いずれの生息地でもトキの数は減り始めました。
日本の場合,減少は複数の要因が重なり,明治から大正に掛けての数十年のうちに急激に進みました。水田地帯の開発が進み,餌場となる水田が減った上,森林が伐採されたことによりねぐらも減りました。その一方で美しい羽根や肉を目的として乱獲され,羽根は矢羽根や羽根ほうき,布団などの材料となったほか海外へも輸出されました。
肉は古くから食べられていたようで,江戸時代の本草書『本朝食鑑』によれば生臭いものの味は良く,女性の冷え症や産後の滋養効果があるとされていました。
日本館2階『日本人と自然』「追われる生き物たち」
右下 トキ(剥製) 左上 ニホンカワウソ(骨格) 左下 ニホンオオカミ(骨格)
1908(明治41)年,トキは明治政府の『狩猟に関する規則』で保護鳥とされました。その14年後の1922(大正11)年,日本鳥学会がまとめた『日本鳥類目録』では,北海道・本州・伊豆七島・四国・九州・沖縄の各所に分布していたとされています。
しかし1924(昭和元)年・25年には状況は一変,新潟県の記録では乱獲の為に見られなくなったとあり,トキの発見に懸賞が懸けられるほどに数が減っていました。1932(昭和7)年,新潟県でトキの捕獲が禁止され,1934年には国の天然記念物(1952年に特別天然記念物)に指定されます。
戦後になってもトキの数は増えず,昭和40年代には日本国内のトキの生息地は石川県能登半島の一部と,新潟県の佐渡島だけとなっていました。人の少ない山中に住み,人前に姿を現すことはほとんどありませんでした。
1967(昭和42)年,佐渡にトキ保護センターがつくられ,島内で捕獲された3羽のトキの飼育が開始されました。しかし餌として与えていた魚についていた寄生虫などにより,翌年までに相次いで死んでしまいました。
後に日本最後の1羽となったメス「キン(捕獲当初の名はトキ子)」が捕獲されたのは1968年。当時幼鳥だったことから,生まれたのはこの前年と考えられています。更に1970年には能登半島で本州最後の1羽,オス「ノリ」が捕獲され,佐渡に運ばれてキンとのペアリングがはかられました。しかしノリは翌年死亡,キン1羽だけでの飼育が長く続けられることとなります。
貴重になったトキを人の手で保護するのか,生息地に餌をまくなどして野生での繁殖に期待するのか ― 激しい議論が交わされた結果,1980(昭和55)年,国は残ったトキ全ての捕獲と人工飼育を決定しました。
翌81年の1月,佐渡島に残されていた最後の5羽(オス1羽,メス4羽)が捕獲され,キンと合わせて6羽の飼育が始まります。個体を識別する為につけられた足環の色から,4羽のメスはそれぞれ「キ(キイロ)」「アカ」「アオ」「シロ」,オスは「ミドリ」と名づけられました。
今にして思えば,オスがミドリ1羽だけになっていたこの時,繁殖計画には既に暗い影が差していました。トキは一夫一妻で,同時に複数のメスと繁殖させることはできない為です。
キとアカは年内に,ミドリとのペアリングに成功したシロも産卵の際に卵を卵管に詰まらせて,アオも5年後に死亡したため,残されたのはミドリとキンだけとなりました。
ミドリとキンの間で何度かペアリングが行われたものの成功には到らず,中国へミドリを一時送ったり,中国から個体を借り入れたりと繁殖の努力が続けられました。
しかし1989(平成元)年には繁殖期に入ってもキンの体の色が変わらなくなり,95年にはミドリが死亡,日本産トキの繁殖は絶望的となりました。
この間に世界の生息地でも,朝鮮半島では1978年,ロシアでは1981年の確認を最後に姿が見られなくなり,絶滅したものと考えられています。
2003年,キンが死亡。国産のトキは姿を消しました。
現在国内で飼育,あるいは昨年放鳥されたトキは2009年6月現在162羽(※1)。1999年に中国から贈呈されたペアと子孫たち,その後近親交配を避ける目的で中国から新たに譲り受けた個体と子孫たちです。
参考 Newton別冊『トキ 永遠なる飛翔』(Newton Press, 2002)
※1 うち9羽は放鳥個体。病気の流行などのリスクを分散するため,多摩動物公園で14羽が飼育されています。
再び日本の空へ:2008年9月第1回試験放鳥
トキの人工繁殖・飼育は,単にたくさんのトキを育てることができればそれで終わりではありません。
環境省は2003年,トキ繁殖のひとつのゴールとして,2015年頃までに,かつて最後の野生のトキが生息していた小佐渡東部地域(佐渡島南東部。国指定鳥獣保護区特別保護地区)に60羽程度のトキを定着させるという目標を掲げました。
この目標の達成に向け,佐渡島では小佐渡東部を中心に,トキの餌場やねぐらとなる水田(棚田)の復元や,湿地・森林の整備が進められて来ました。農家の方の理解と協力の下,餌となる生物が繁殖できるよう,耕作しない冬の間も田に水を入れたままにしてもらう,農薬や化学肥料を極力使わない農法に取り組んでもらうなど,人間活動との共存もはかられました。
一方佐渡トキ保護センターでは,2007年から野生復帰に向けたトキの訓練(順化訓練)が開始されました。
手厚く保護されていたセンターでの暮らしから急に野外へ放たれたとしても,環境の変化が大き過ぎ,生き抜くことは難しいでしょう。そこで,未だ人間の庇護はすぐ傍にあるものの,より野生に近い環境で暫く飼育されることとなったのです。
そして2008年9月25日,訓練を終えた個体の中から選ばれたオス・メス各5羽,計10羽が放鳥されました。1981年の全鳥捕獲から27年ぶりのことです。
放鳥以降佐渡トキ保護センターによって目撃情報が収集されており,現在オス・メスそれぞれ4羽の健在(放鳥直後にオス1羽が行方不明,12月にメス1羽が死亡)が確認されています。
上:第1回放鳥を記念する500円硬貨下:人工繁殖で生まれた孵化直後のトキのひな(佐渡トキ保護センター提供)
放鳥されたトキは当初,佐渡に定着するものと信じられ,また期待されていました。島を離れるほどの飛翔力はなく,整備された餌場が近くにあればそこに留まる筈だと考えられたのです。
しかし実際には,島に残ったのはオスだけで4羽のメスは相次いで本州へ渡ってしまいました。メスたちの行動範囲は北は宮城県や山形県,南は長野県や富山県にまで及び,ねぐらや餌場も自力で確保しています。餌となる生物が少なくなるだろうと心配された最初の冬も無事に乗り切りました。
オスが島内,メスが本州と分かれてしまったことで,放鳥個体の間での今シーズンの繁殖は絶望的となりました。
オス・メスの行動の違いの原因は未だ判っていません。
縄張りを構えてメスを待つオスと,良いオスを求めて移動するメスで元々習性に違いがあったのかも知れません。
かつて日本にいたものと全く同じ種であるとは言え,中国産のトキの子孫であることから,広範囲・長距離を移動する行動パターンは大陸生まれの特徴なのかも知れません。
放鳥のされ方が良くなかったとする意見もあります。第1回の放鳥では,トキは1羽ずつ木箱に入れられ,多くの観衆の目前でいきなり自然に放されました。トキは沢山の人間の姿にパニックを起こし,島中に逃げ散ってしまいました。放鳥前にできていたペアもバラバラになりました。
決定的な原因は判っていませんが,今年の放鳥はこれらを踏まえ,方法やオス・メスのバランスを変えて行うことが決まっています。
放鳥予定の個体は昨年の倍の20羽,オス8羽に対しメス12羽です。親子や比較的年長の個体,順化訓練期間の短い個体などバラエティも豊かです。
放鳥前のトキを放鳥予定地の環境に慣らすため,予定地には20羽が同時に入れる仮設ケージが建設されました。トキたちはまもなくこの仮設ケージに移され,今月29日(火)の放鳥日にケージの扉が開かれる予定となっています。人間に促されるのではなく,トキが出たい時に自由に外に出て行くことができる方法で,昨年の「ハードリリース」に対し「ソフトリリース」と呼ばれます。
トキを驚かせないよう,仮設ケージと放鳥は共に非公開で,近隣への関係者以外の立ち入りも制限されます。
放鳥時点で群れやペアがある程度形成されていれば,自然での繁殖や1ヶ所への定住に繋がって行くかも知れません。
トキは第2のコウノトリになれるか?
日本で1度野生から姿を消し,人の手で繁殖,野生復帰が図られた野鳥はトキが初めてではありません。
コウノトリ(Ciconia boyciana,コウノトリ目コウノトリ科)は江戸時代までの日本ではごく身近に見られた鳥でした。留鳥として日本に定住するものがほとんどでしたが,中国の個体は夏には満州地方,冬には中国南部への渡りを行っており,その途中に日本を訪れるものも一部あったようです。
しかし明治以降,餌場となる湿地帯や,巣をかけることのできる大きな木が少なくなったこと,農薬や化学肥料の使用によって餌となる水生小動物が減ったことなどが災いし,1971年に野生のものが絶滅,飼育されていた最後の個体も1986年に死亡しました。
その後のコウノトリの人工繁殖・野生復帰計画は,トキの場合と良く似た経緯を辿っています。兵庫県豊岡市にある兵庫県立コウノトリの里公園が中心となり,中国や旧ソ連から譲り受けた個体(日本のコウノトリと遺伝子的に同じ種であることが分かっています)を元にした繁殖に取り組みました。1988年に初めての人工繁殖成功,2000年には飼育数は100羽を超えました。
野生復帰のための訓練や,生息地となる湿地の整備が進められ,第1回の自然放鳥が行われたのが2005年。2007年には放鳥個体同士のペアでの始めての野外自然繁殖にも成功しました。
放鳥されたものとその子どもたち,渡り途上で飛来した個体1羽も加え,現在35羽が野生で暮らしています。
コウノトリ(Wikipedia)コウノトリの復活にとって幸いだったのは,日本に定着していたグループが絶滅した後も,渡りの途上の個体が時折飛来していたことでした。
特に2002年に飛来したオス,通称『ハチゴロウ』は2007年に死亡するまで豊岡市内に定着し,その生態を観察することでコウノトリの生息する環境や餌についての情報を得ることができました。また豊岡市周辺に野生のコウノトリが暮らせる自然が残されているということ,大型鳥類の復活を不安視していた一部農家の人々に対して,コウノトリが田畑を荒らさないことの証明にもなりました。
一度野生から姿を消した生物の復活は,その生物と人間との間だけの問題ではありません。
食物網や共生など,生物同士の複雑な繋がりの全てを理解することは非常に難しいことです。ひとつの種が失われると,似た生態を持つ他の種がその位置を埋めたり,生物同士の関係が繋ぎ変わったりしながら,生態系はやがて元とは別の形で安定します。逆に言えばひとつの種の復活は,生物の関係の再度の繋ぎ変え,再度の不安定をもたらすものにもなりかねないのです。
トキの野生復帰への道は,まだその第1歩を踏み出したばかりです。コウノトリより更に情報が少ないため,トキのいない環境で長く生きてきた他の生き物にとって彼らの復活がどのような影響を及ぼすのか,現代の人間の生活と本当に共存が可能なのかなど,これからひとつひとつ検証していく必要があります。
野生に放たれた,あるいはこれから放たれることになるトキにとっても,復活に尽力されて来た方々にとっても,トキを迎え入れる現地の人々や,人間以外の生き物にとっても。最良の関係が築かれて行くよう,一時のニュースで終わることなく今後も見守りたいところです。
(研究推進課 西村美里)