続報:新型インフルエンザ ― ワクチンの働きと免疫
新型インフルエンザワクチンの現状
本来ならば12月1日掲載となっていた筈の今回の記事。約1週間遅れとなってしまいました。タイムリーに…と言うべきか,インフルエンザに罹ってしまいお休みを頂いておりました。大変申し訳ありません。
さて,2009年5月1日号のホットニュース『速報:新型インフルエンザ,侵入に注意』で,豚由来の新型インフルエンザの発生をお伝えしてから7ヶ月。翌6月にはWHOの警戒レベルが最高の6に引き上げられ,世界的な流行(パンデミック)が宣言されました。
日本でも児童・生徒を中心に感染が拡大し,国立感染症研究所・感染症情報センターの発表によれば,11月第1週(11月2日~8日)の間にインフルエンザと思われる症状で新たに医療機関を受診した方は約15万8千人,患者総数は153万人を数えました。そのうちの約8割を20歳未満の方が占めています。
脳症(※)や肺炎で亡くなった方も遂に100人を超えました。基礎疾患(持病)のある人の方がない人に比べ危険性が高いと言われていますが,特に持病のなかった方でも重症化した方,亡くなった方もあります。おとなだから,今現在健康だからと安心できる状況ではありません。
これに対してワクチンの接種は,先ず10月19日から医療関係者,10月30日には妊娠中の方,基礎疾患のある方を対象として始まり,小児への接種も自治体によって開始時期に差はあるものの,11月半ばから順次開始されています。
ワクチンとは,感染症の予防,或いは重症化の防止を目的に,病原性を失わせたり弱めたりした病原体を身体に接種するものです。
病原体の侵入を受けた身体には抗体が作られ,以後同じ病原体に感染した際,体内からより早く排除したり,増殖を抑制したりできるようになります。
(上)今やすっかりお馴染となった手指消毒剤。
1回の噴霧で十分効果があります。
(下)抗インフルエンザウィルス薬オセルタミビル(商標タミフル) 医師及び薬剤師の指導を守って正しく服用してください。
ワクチンと免疫
新型インフルエンザウィルス(CDC/C. S. Goldsmith and A. Balish)今回の新型インフルエンザは,人類が今までに経験したことのない,新しいタイプの病原体(高齢の方では近いタイプのウィルスに感染した経験があり,ある程度の免疫があるとも言われています)です。
ワクチンの効果についてご説明する前に,先ずワクチンの接種を受けていない,なおかつ今回のように1度も同じ病原体に感染した経験のない状態で,病原体が体内に入った場合,身体に何が起こるかを簡単に見ておきましょう。
インフルエンザウィルスは,発症者の咳やくしゃみで飛び散る唾液,鼻水などに多く含まれています。その飛沫を吸い込んだり,飛沫の付着した手で口や目などに触れると,ウィルスが体内へ侵入してしまいます。
体内へ入ったウィルスは,鼻やのどなど,主に呼吸器に関する細胞に取りついて内部に入り込みます。これが感染です。
ここからはインフルエンザに限りませんが,生体防衛の第一歩は白血球の一種,好中球やマクロファージがウィルスや死んだ細胞を捕食(貪食)によって取り込み,増殖の阻止を試みることから始まります。特にマクロファージは取り込んだ病原体の情報を他の免疫システムに知らせる働きを持っています。これを抗原提示と言い,これによってリンパ球(白血球の種類のひとつ)の一種,ヘルパーT細胞が活性化します。
ヘルパーT細胞は免疫反応の司令塔とも呼べる存在です。ヘルパーT細胞の働きによってマクロファージの活動はより活発になります。更にヘルパーT細胞は,B細胞と呼ばれる別のリンパ球の中から,自身が受けた抗原情報に対応するものを選択的に活性化させ,抗体の生産を促します。
B細胞は細胞ごとに,各々決まった抗体を生産することができます。抗体は病原体に取りついて病原体を凝集させるなどして,好中球やマクロファージが捕食しやすいよう手助けをするほか,それ自体が病原体の感染力や毒性を弱める働きを持つこともあります。
1度病気が治癒した後も,活性化したB細胞の一部は記憶細胞となって長く残り,病原体の情報を記録しています。この記憶細胞のおかげで,同じ病原体が再び侵入した時には1度目より素早く抗体が生産され,感染や発症を抑えることができるようになります。
さて,今度はワクチンを接種した場合です。
インフルエンザのワクチンは,感染力を失わせた(不活化)インフルエンザウィルスに更に化学的な処理を加えたもの(作り方は次のページで述べます)を主成分としています。ウィルスは接種によって体内に入りますが,感染力を失っているため,細胞内に入り込んだり増殖することはほぼないとされています。
しかし,たとえ感染がなくても,体内に異物が侵入していることには変わりありません。マクロファージによる捕食からB細胞による抗体の産生まで,一連の反応が本物のウィルスの侵入時とほぼ同じように起こります。その結果記憶細胞が残り,万一本物のウィルスの侵入が起こった際に,素早い抗体生産が可能になります。
インフルエンザワクチンの効果
日本の予防接種法では,ワクチンの接種を『定期接種』『任意接種』の2種類に分けて定義しています。
定期接種は国が極力接種を受けるよう勧めるもので,市町村長の責任で接種機会が提供されます。多くの自治体や学校で集団接種が行われており,費用の全額または一部が公費によって負担されます。対象となる疾病のうち,はしかや風疹,ポリオなどは主に入園・入学前の子どもに接種が行われますが,季節性インフルエンザについても65歳以上の方,60~64歳の方のうち,心臓・腎臓・呼吸器などに重大な障害のある方については定期接種の対象となります。
任意接種はその名の通り,接種を受けるか受けないかの判断は個人の判断に委ねられています。希望者は自分で医療機関へ行かなければならず,費用も全額自己負担です。
現在新型インフルエンザのワクチンは任意接種となっており,季節性についても,定期接種の対象者以外の方は全て任意接種となります。

新型インフルエンザではこの他,任意接種を受けることのできる優先順位が定められています。11月30日現在で全国的に接種可能になっているのは,医療関係者(薬剤師は含まれていません),所定の基礎疾患のある方,妊娠中の方です。乳幼児・児童・生徒については自治体によって異なりますが,東京都では1歳から小学校入学前までの方であれば接種を受けることができます。状況は日々変化しますので,自治体またはかかりつけ医に相談するようにしてください。
さて,ワクチンさえ接種しておけば100%発症せずに済むのでしょうか?残念ながらそう簡単ではありません。
理由のひとつは接種方法が,皮下注射であるということです。皮下注射はその字の通り,皮膚の下の組織に薬液を注入することで,注入された薬液は毛細血管に吸収されます。そして血中で抗体反応が強まるのですが,インフルエンザウィルスの最初の進入路になりがちな鼻・のどなどの上気道では抗体はほとんど作られません。そしてインフルエンザのウィルスは,鼻やのどの周辺に留まっていることが多く,全身に回ることは少ないのです。たとえて言えば敵は国境のひとつの砦を集中的に攻撃しているのに,味方の兵士は国中に散らばってしまっているようなものとも言えます。ワクチン成分を鼻・のど付近に効果的に投与できる方法として,鼻に直接噴霧する点鼻式ワクチンがありますが,ワクチンの元になる成分が異なっており,日本では承認されていません。
特にA型のウィルスで変異が早く,非常に多くの抗原候補株が存在することも予防を難しくします。抗原として使用される株は,Aソ連型・A香港型・B型から毎年各1株ずつ,計3株が選ばれることになっており,WHO(世界保健機関)の勧奨や国内外の流行状況に基づいて厚生労働省が決定しています。予想は外れることもあり,同じ亜型から2種類以上の株が流行した場合にも対処しきれません。
1970年代までのインフルエンザワクチンは,不活化ウィルスをそのまま使って作られていました。これを全粒子ワクチンと言い,免疫を誘導する効果は高かったものの,副反応(副作用)も強く出ることが多く,問題となりました。
これに対して現在のワクチンは,不活化したウィルスにエーテルなどを加えて脂質成分を溶かし,タンパク質を露出させて材料としています。こちらはスプリットワクチンといい,副反応の起こる確率は低いのですが,効果も全粒子ワクチンほど高くならないと言われています。
海外ではスプリットワクチンに免疫増強剤(アジュバント)を加えることで効果を補っているものもあります。海外製の新型ワクチンは,年明け以降に接種可能になる予定です。
ことば
インフルエンザワクチンの効果を表す数字として,ワクチンの『有効性』があります。これはワクチンを接種した人のグループと接種しなかった人のグループを比較して,接種を受けたことで発症を免れた人がどの程度居たかを数値化したものです。
今ここに健康な人100人のグループがふたつあるとして,それぞれをAグループ・Bグループと名付けます。Aグループには全員にワクチン接種を受けてもらい,Bグループには一切の接種をしないものとします。2つのグループのメンバーがそれぞれ通常の社会生活を送った時,Aグループは20人,Bグループでは50人がインフルエンザを発症しました。
この時,ワクチンの接種によって発症を免れたAグループの人は50-20=30人いたと考えることができ,有効性は30÷50×100=60%となります。
逆に言えば,有効性60%と言われた時,ワクチンを受けた100人のうち発症を免れるのは60人だと単純に計算するのは間違いだと判ります。上記のようにワクチンを受けなかった100人のうち50人が発症する流行であれば,ワクチンを受けて発症を免れる人は80人になるからです。
また,ワクチンを受けて免疫を持っている人が増えれば,自分の周囲に感染者・発症者がいる確立が下がることになるため,更に多くの人が発症を免れることが期待できます。
インフルエンザワクチンをつくる
季節性か新型かに関わらず,インフルエンザのワクチンを作るためには先ず,元になるウィルスの株を十分な量手に入れる必要があります。
インフルエンザウィルスは生物の細胞の内部に入り込んで生息・増殖するウィルスのため,量を増やすためには生きた細胞にウィルスを接種し,培養するしかありません。
生きた細胞の供給源として使われているのは,鶏の有精卵(発育鶏卵)です。未だひよこのうちから厳正な衛生管理下に置かれた鶏を親として,産まれた卵のうち品質検査に合格したものを,産卵後11日程度孵卵器で育成します。
温めた卵を孵卵器から取り出して殻に小さな穴を開け,感染力のある生きたウィルスを注入します。注入場所は漿尿膜と呼ばれる呼吸などを行う膜の内側で,発育途上の胚そのものや,胚の周りを満たす羊水,胚に養分を供給している卵黄などと直接接触することはありません。
穴を塞いで孵卵器に戻し,更に3~4日温め続けます。この間も胚は生き続けていますが,漿尿膜の内側では次第にウィルスが増えていきます。
卵の殻に再び穴を開け,漿尿膜の内側の漿尿液を取り出します。そこに含まれるウィルスを分離し,ホルマリンなどを使って完全に不活化させます。 全粒子ワクチンであればこれで原液の完成ですが,スプリットワクチンでは更にエーテルなどを加えて,副反応を軽減させる処置が行われます。
この後製造メーカーと国でそれぞれ安全性や効力の検査が行われ,合格したものだけがワクチンとして医療機関などに出荷されます。

製造過程で卵が使われているため,卵にアレルギーのある方は接種を受けるべきかどうか迷われることも多いかも知れません。実際卵アレルギーの方の接種は勧められないとされていた時代もありました。
ウィルスの培養場所は漿尿膜の内側ですが,卵白や卵黄との直接の接触はありません。また,ワクチンは十分精製されているため,卵の成分はほとんど残っていません。アレルギーの程度の軽い方なら,まず問題なく接種できると言われています。
卵を食べて呼吸困難を起こしたことがある,酷い蕁麻疹が出たことがあるなど重篤なアレルギーのある方は,受けない方が無難だとされます。しかしこの場合も,パッチテストなどを行って影響の程度を判断しながら,少量ずつ,間隔を開けて接種するなどの方法で受けることができる場合もあります。
いずれの場合も接種の前に十分に医師と相談してください。
鶏卵を使う方法では,1回の培養に時間が掛かります。1個の卵で培養できるウィルスの量が成人の約0.5回分と少ないこと,卵の安定供給が得られなければ生産を続けられないこともあり,今回の新型インフルエンザのように,できるだけ早く大量にワクチンを生産したい場合には,本来あまり適した方法とは言えません。
卵に頼らない方法として,他の生物の細胞を使った『細胞培養』法も検討されています。具体的にはサルやイヌ,アヒル,ヒトなどの細胞が考えられていますが,ウィルスを培養するより先にこれらの細胞を安定的に培養できなければなりません。
現状ではターゲットとなる細胞の培養技術はほぼ確立されています。小さなチューブに小分けした状態で凍結保存したものを,必要な時に取り出して使えるようにもなりました。ヨーロッパでは複数のワクチンメーカーが細胞培養ワクチンのライセンスを既に取得しており,日本でも新たなウィルスのパンデミックが起こった場合半年以内に国民全員分の細胞培養ワクチンを提供できる体制を目指して研究が進められています。
(研究推進課 西村美里)