北陸で発見された縄文前期の大遺跡 ―小竹貝塚―
発見!小竹貝塚

(左上):小竹貝塚の位置、(左下):小竹貝塚の貝、(右):小竹貝塚の全景 「写真提供 公益財団法人富山県文化振興財団埋蔵文化財調査事務所」
2015年春、東京と長野を結ぶ北陸新幹線(長野新幹線)は金沢まで延長されます。これにより、現在約4時間かかってしまう東京―金沢間が2時間半程度に短縮されることになります。新幹線に対する北陸地方の人たちの期待は高く、「未来を切り拓いていく希望の星(石川県の北陸新幹線のHP)」と歓迎されています。
北陸新幹線は未来を切り拓くだけではなく、北陸地方の歴史も明らかにしてくれました。それが、富山県富山市呉羽町北および呉羽昭和町にある「小竹貝塚遺跡」です。この貝塚遺跡は1970年以前に発見されていましたが、2010年、北陸新幹線の線路を建設するにあたって遺跡調査をおこなったところ、小竹貝塚は日本海側で最大級の貝塚で、多くの貴重な考古遺物と共に、大量の縄文時代人骨が出土しました。
富山市埋蔵文化財センター 小竹貝塚縄文レポート(HTM)(リンクを新しいタブで開きます)
小竹貝塚とは?

(左)小竹貝塚出土の土器、(右)漆塗りが施された土器
「縄文時代」は1万年以上続いた長い時代で、「草創期」、「早期」、「前期」、「中期」、「後期」、「晩期」の6つに分けられ研究されています。ただ、比較的古い時期に相当する「早期」や「前期」の遺跡は数少ないため、判明していない事柄が多くあります。
小竹貝塚は、約5,500~6,800年前(縄文時代前期)の遺跡で、貝塚だけではなく、住居の跡も見つかっています。縄文土器は約13トンも出土し、北陸地方だけではなく、近畿・関東・東北で作られる土器も見られ、中には漆塗りが施された土器も出土しています。石器も1万点ほど出土しており、長野県、岐阜県、新潟県などを産地とする石材が使われていました。また、国内最古級のヒスイの加工品も見つかっています。骨や貝殻を加工した骨角器は約2,300点も出土し、なかには九州もしくは伊豆諸島以南でしか採取できないオオツタノハの貝輪も含まれています。
このように、小竹貝塚出土の遺物から、縄文時代前期の北陸地方に日本各地から物品が流れ込んでいた可能性が示されています。
約6,000年前の人びと

小竹貝塚出土人骨の埋葬例
「写真提供 公益財団法人富山県文化振興財団埋蔵文化財調査事務所」
小竹貝塚の特徴として、人骨が多数出土したことも挙げられます。人骨というと、薄気味悪いものと考えられること多いですが、遠い昔に生きていた人たちの姿や生活状況、埋葬様式などは人骨からでしか理解できません。また、人骨から抽出されたDNAから、人の移動や血縁関係、骨の微量成分から「何を食べていたのか」といったことまで分析できます。
ただ、遺跡の数と比例して、縄文時代人の骨も古いほど数が少ない傾向にあり、例えば、これまで日本全国で発見された「早期」および「前期」に属する人骨は80体ほどしかありません。そのため、縄文時代の最初の頃に生きていた人たちの実像はよくわかっていませんでした。
ところが、小竹貝塚で出土した人骨は、発見当初70個体以上を数えていました。つまり、一遺跡でこれまで発見された「早期」および「前期」の全個体数に匹敵するほどだったのです。この人骨の分析に国立科学博物館人類研究部が関わり、その結果、最低でも91個体もの人が埋葬されていたことなど、さまざまな新知見が明らかとなりました。
小竹人骨からわかったこと

小竹貝塚出土人骨の頭骨
小竹貝塚から出土した人骨の年齢構成は、「青年期」の個体が全体の18.5%を占め、「胎児」や「周産期」も全体の9.9%でした。現代と比べると、厳しい環境に置かれていたと推測されます。また、身長推定が可能であった個体のなかで、6個体の男性は推定身長が165㎝以上でした。縄文時代後・晩期人男性の平均推定身長である158㎝と比較すると、かなり大柄な人たちもいたと言えます。
ミトコンドリアDNAの分析では、南方系の型を示す個体と北方系の型を示す個体が混在しており、縄文前期ですでに縄文時代人を特徴づけるDNA型が認められることが明らかとなりました。
骨から何を食べていたのか分析する食性分析では、小竹貝塚の人たちは陸上生態系と海洋生態系の双方の食べ物を摂取していたこと、そして個体間の食生活の違いが、とくに男性で大きいことが明らかになりました。
小竹貝塚に埋葬されていた人たちは、他地域・他時代の縄文時代の人たちとの関係性を示しつつも、様々な人たちが集まっていたと言えます。これは、単純に個体数が多かったためである可能性も否定できませんが、遺物の状況と合わせて考えると、多くの人びとが行き来する場所であった可能性も示唆しています。いずれにせよ、小竹貝塚人骨は縄文時代の人たちを語る上で欠くことのできない重要な資料であることは間違いありません。
科博日本館2階には、埼玉県「妙音寺洞穴遺跡」から出土した縄文時代早期人の全身骨格と岩手県「蝦島貝塚遺跡」から出土した縄文時代後晩期人の全身骨格が展示されています。両者の間を埋めるのが今回ご紹介した小竹貝塚から出土した人たちです。縄文時代の1万年以上続いた時間の流れを想像しつつ、ヒトの体も変化していることに興味をお持ち頂ければ幸いです。
<執筆・監修> 国立科学博物館 人類研究部 坂上和弘 研究主幹