ハーバリウムと植物標本
(1)植物標本-その意義と優れた性質-

(左上)インド産ショウガ科Hedychium gardnerianumの標本。ヒマラヤ植物の研究で有名な原 寛 博士によって採集され、当館の筑波実験植物園で系統保存している株から標本にしたもの。(右上)1979年に現在の江東区有明4丁目で採集されたヨーロッパ原産の帰化種ノラニンジンの標本。当時ここにはノラニンジンの大群落があり、建造物が建設される前の一時代の都心の埋立地のフロラを示す記録である。現在はコンテナ置場となり見ることはできない。(左下・右下)お湯で煮て復元させたサクラ属の花の標本。
昨年春から秋にかけて放送されたNHK連続テレビ小説『らんまん』(2023年前期・長田育恵作)は、日本の植物学の黎明期に活躍した植物分類学者・牧野富太郎をモデルにした主人公 槙野萬太郎が、大好きな植物の研究と知識の普及に人生をかけたその生き様を描いたものでした。
そのドラマで一般の方々にも一躍知られるようになったのが植物標本です。平面化して乾燥させ台紙に貼られた標本は、専門的には「腊葉標本(さくようひょうほん)」といいます。標本は、そのときその生物がそこに生きていたという科学的な証拠です。分類研究は主にこの標本に基づいて行われます。しかし、標本は分類学だけではなくあらゆる研究分野の証拠資料でもあります。例えば、ヤマユリから染色体を観察したといっても、調べた植物の標本を残さない限り、後にそれが本当にヤマユリだったのか、検証しようがないからです。
また、年代を超えて様々な場所で採集された標本の蓄積からは、その植物の分布や地域変異、フロラ(植物相)の変遷も知ることができます。腊葉標本は重ねておけるため収納性も抜群で、乾燥している花や果実はお湯で煮ると柔らかく元の形に戻り、内部の形態を詳しく調べることもできます。
(2)ハーバリウム(Herbarium)の役割

(左上)当館のハーバリウム(TNS*)。(右上・左下)ロンドン自然史博物館のハーバリウム(BM*)は、世界の植物標本約560万点を収蔵する。赤いカバーに入っているのは、学名の証拠となるタイプ標本。(右下)シンガポール植物園のハーバリウム(SING*)は、ボックス型の収蔵形式。ボックスを手前に開くと標本が取り出せる。
このような優れた性質をもつ腊葉標本は、いつから作られるようになったのでしょうか?16世紀初頭にボローニャ大学の本草学者ルカ・ギーニが、冬季など花がない季節にも学生に薬草の形態を教えるために考案したとされています。当時は、標本を本のように綴じてめくって閲覧していました。これは"Hortus Siccus(乾いた庭園)"、"Hortus Hiemalis(冬の庭園)"と呼ばれていました。現存する最古の標本は、彼の弟子が作製した1530年代初めのもので、490年以上の歴史があります。1700年代になると標本の収蔵施設のことを"Herbarium(ハーバリウム)"と呼ぶようになり、これが今日に受け継がれています。つまり、腊葉標本は植物の研究・教育に実に500年もの間、形を変えずに使われ続けているのです。
ラベルには、その地域での呼び名(現地名)や利用法などが記録されていることもあります。ハーバリウムの標本群からは、特定の種の分布図を作成することもでき、時には新しい薬になる植物、作物の新たな育種の素材になる植物などを見出すこともできます。ハーバリウムは、世界の植物が一つの部屋に収められており、施設そのものが植物多様性と植物資源情報のデータバンクなのです。
*TNSやBMなどの記号は、世界のハーバリウムの所在地、連絡先、コレクションの特徴と数、キュレーターとその専門分野などが検索できるオンラインデータベースであるIndex Herbariorumに登録された略号。登録されたハーバリウムには、アルファベットで示されたコード(国際略号)が与えられる。
(3)牧野富太郎と標本

日本のフロラの研究は、明治に入り近代的な植物学が導入されて国内の学者によって研究される前は、主にヨーロッパやアメリカの学者によって研究されていました。しかし、彼らによって採集された標本は、持ち帰って自国で研究されたため、日本には保管されませんでした。当時、日本にはハーバリウムもありませんでした。明治に入り、東京大学の植物学の初代教授に着任した矢田部良吉は、まず一から日本の植物標本を収集し、ハーバリウムを作ることから始め、植物学教室を確立しました。
土佐が出身で学歴がないまま東京大学への出入りを許された『らんまん』の主人公のモデルである牧野富太郎は、自ら日本全国を巡って、さらに精力的に標本を収集し、まだ学名がなかった日本の多くの植物に学名をつけていきました。
コレクターだった牧野富太郎は、山地に限らず都心でも、そして野生種に限らず園芸品の標本も作製しました。そのような一連の過去の標本の集積から100年単位の日本の各地のフロラの変遷、地方野菜の品種の栽培の歴史なども知ることができます。現在、彼の標本は主に東京都立大学牧野標本館に収められています。また、当館にも牧野富太郎が採集した標本が多数収蔵されており、最近では、彼が採集した明治期のキク科の標本も発見されています(写真左)。
(4)新種とタイプ

(左)ミャンマー東部カヤ州のカレン丘陵から発見されたショウガ科ショウガ属の新種Zingiber procumbens Nob.Tanaka & M.M.Aung のタイプ標本。(右)ミャンマー中部の石灰岩地域から発見されたツリフネソウ科の新種Impatiens katjae Nob.Tanaka & J.J.Verm.。オランダから鑑定のために送られてきた標本が新種だったため共同で発表しタイプ標本が当館ハーバリウムへも納められた。
腊葉標本の最も重要な役割の一つに、学名の基準があります。新種などの新学名を発表した際の学名の基準となる標本をタイプ標本と呼びます。当館のハーバリウムには、約3,700点の維管束植物のタイプ標本が収蔵されています。
東南アジアは、地球上で植物の多様性が最も高い地域の一つです。最近の研究では、約10,000種の植物が未だに未記載であると推定されています。世界における東南アジアのフロラ研究では、2011年から2017年までの間に実に約3,000種もの新種が発表されています(Middleton et al. 2019)。現在、当館では総合研究「国際共同研究によるミャンマーの自然史の解明と研究拠点形成」を進めていますが、私が研究するショウガ科でも、同地の調査で毎年のように新種が発見されています。
そのハーバリウムに所属する分類学者が新種を記載すると、それらのタイプ標本がハーバリウムのコレクションに加えられることになります。多くのタイプ標本を所蔵していることはハーバリウムの存在価値を高めることになります。
<執筆>
国立科学博物館 植物研究部 陸上植物研究グループ グループ長 田中伸幸