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理工電子資料館

内田五観の3種のものさし
(享保尺・又四郎尺・折衷尺)


    

 
 現在、私たちが長さや重さを測るときに用いている単位は、メートル法をもとにした国際単位系(SI単位)と呼ばれるものです。基準になっているメートル法は、世界で初めて認められた国際的な計量制度で、1875(明治8)年提案国フランスを中心に、17か国が集まってメートル条約を締結しています。
 日本はちょうどそのころ、明治になったばかりで、まだ江戸時代の度量衡を使っていました。当然、旧来からの尺貫法では日本の近代化を進める上で、大きな障害であることは誰の目にも明らかでした。1870(明治3)年8月、明治政府は度量衡改正掛を設置し、後に財界で活躍する渋沢栄一もその一人に任命されました。渋沢らは、さっそく全国の度量衡器具の調査を行い、改正作業に取り掛かりましたが、長い年月を経て、社会に浸透している尺貫法を改正するのは、大変な作業でした。江戸時代の計量制度で重視されたのは、お米や商業に使う、升と秤で幕府の厳しい統制がありました。ところが、長さの基準である物差しについては、ほとんど何の規制もなかったのです。升や秤は、年貢米の取立てや貨幣、経済の統制に重要なものでしたが、ものさしは、大きく土木建築用(曲尺)と裁縫用(鯨尺)の2系統に分かれ、そのどちらも実際の作業に用いられるもので、直接の統制は受けなかったのです。とは言っても、厳重に管理された升の寸法が、この放任された尺度で製造されていたのは、不思議と言えば不思議なことです。
 さて明治政府の改正掛は、まず当時既に国際統一制度として認められつつあったメートル法と尺の関係を作ろうとしました。何回かの紆余曲折の末、1875(明治8)年に折衷尺を基準とした「度量衡条例」が公布されました。1メートルが3.3尺と決められたのはこの時です。国立科学博物館の3本の「物差し」は、この度量衡法の改正にあたって、長さの参考にされたものです。この享保尺、折衷尺、又四郎尺の3本は、江戸時代の関流和算家内田五観(うちだいつみ)が所蔵したものといわれています。日本がメートル条約に加盟するのは、1886(明治19)年のことで、尺貫法併用から完全にメートル法に移行したのは、1958(昭和33)年のことですが、この3本の物差しから日本の近代計量法は始まったのです。

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