2010-03-15

チリの大地震と津波警報 (協力:地学研究部 横山一己)


ラフカディオ・ハーンと『稲むらの火』


 『いつからとも判らないほど遠い昔から,日本の海岸は(中略)地震や火山によって起こる巨大な高潮によって大きな被害を受けて来た。この恐ろしい海面の上昇を日本人は津波と呼んでいた(筆者訳。高潮と津波の違いについては前頁で紹介の通りですが,ここでは原文のまま高潮としています)』
 『最近では,1896年6月17日の夕方に起こった。200マイル近くにまで伸びた波が宮城・岩手・青森などの東北部の沿岸を襲い,町や村の境界線を破壊し,3万人近い人々の命を奪った(同)』
 1896年,ギリシア出身で日本に帰化した小説家,ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が,随筆“A Living God”の中で紹介した,明治三陸地震による津波の被害です。
 地震の規模はそれほど大きくはなく,現在の震度で2または3程度だったとも言われます。しかしその約30分後に襲来した巨大な津波によって,日本の津波災害史上最大となる2万2千人にも上る死者が出ることになりました(防災科学研究所『広報ぼうさい(No.28)』)。

 日本人にとっても大きな痛手となったこの災害の衝撃は,外国出身のハーンには一層大きかったのかも知れません。
 地震と津波から3ヵ月後に書かれた“A Living God”は,日本人の宗教観・神仏感について紹介する作品でもありますが,1854年の安政南海地震の際に実際にあった出来事をモチーフに(※4),地震による津波から人々を救ったひとりの村長が,村人たちから生き神として祀られるまでの顛末に多くのことばを費やしています。

 その粗筋は,このようなものです。
 祭りの準備に賑わうある村で,小さな地震が起こります。地震の規模は大きくなく,村人にそれを畏れる様子はありません。しかし年老いた村長は,その地震の揺れが奇妙であることに気がつきます。周期が長くゆっくりとした,足元がふわつく感じの揺れで,近くの小さな地震ではなく,何処か遠くで起こった巨大地震がもたらしたものであるように思われました。
 揺れが収まると,今度は海で異変が起こります。海水が大きく沖へ引き始め,海面が異常に下がったのです。村人たちはその様子を確かめに,海辺に出て行ってしまいました。しかし高台の自分の家から見下ろしていた村長は,子ども時代に伝え聞いた話から,それが津波の前兆であると気がつきます。
 海岸にいる村人たちを,一刻も早く避難させなければ危険です。知らせに行っていては間に合わないかもしれません。彼は自身の田の稲の束に火をつけて,村人たちが高台に集まって来るよう仕向けました。400人の村人たちが全員高台に集まった時,果たして津波は襲い掛かり,低地の家々を呑み込みました。村長は自身の財産である稲を全て失いましたが,引き換えに400人の村人の命を救うことができたのです。

 この場面は,その後小学校教員中井常蔵によって翻訳され,『稲むらの火』として戦前の国語教科書に掲載されました。村長の自己犠牲の精神を称えるものでもあったのでしょうが,『地面が揺れ,海水が引くのが見えたら直ぐに避難すべし(※5)』という教訓を伝える防災教材としても高く評価され,2003年には気象庁が,『稲むらの火』と実際の安政南海地震を題材とした防災パンフレットを作成しています。

※4 “A Living God”および『稲むらの火』のモチーフとなった実話については,下部リンクなどをご参照ください。

※5 海水が引いたら直ぐ避難。この教訓は正しいのですが,海水が引かなかったら避難しなくても良い,という意味ではありません。現在では津波は必ずしも引き波から始まるとは限らないことが判っています。沿岸で地震を感じたら,水が引いても引かなくても,『津波の心配はない』ことが報道されるまで,決して海岸には近づかないようにしてください。

図:1896年明治三陸地震津波「大海嘯極惨状之図」(国立科学博物館蔵)
※画像のダウンロード・転載はご遠慮ください。

(研究推進課 西村美里)


より詳しく知りたい方のために
気象庁『稲むらの火』
稲むらの火 Web