2021-03-05

「令和2年7月豪雨」で被災した人吉城歴史館所蔵の植物標本レスキュー(Part.2)

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前原勘次郎と球磨地方の植物研究
植物の重複標本と標本交換の文化
浮き彫りになった課題、そして返還に向けて

植物の重複標本と標本交換の文化

(左)国立科学博物館に収蔵されている前原勘次郎採集のボロボロノキ標本。添えられた手紙から、当時当館で定期的に開催されていた「おしば展」に前原氏が出品した標本の1点であることがわかる。台帳の記録によれば、当館へは昭和29年度に寄贈されている。
(右)人吉城歴史館で被災し国立科学博物館がレスキューを受入れた標本中から見出されたボロボロノキの標本のラベル。上の標本と情報が完全に一致し、重複標本と判断される。

 樹木などの大型の植物では、1個体からたくさんの標本を作製することができます。また、別個体を採集した場合でも、採集者が同一番号をつけていれば単一の採集品として扱われることが、命名規約で定められています。複数作られた単一採集品の標本を「重複標本」と呼び、これを交換し合って多くの機関あるいは個人で共有する習慣が植物学では古くから定着していました。現在のようにインターネットで画像の公開ができなかった時代でも、遠く離れた場所にある研究機関の間で標本が共有できたため、植物の名前を決める際のコミュニケーションツールとして重宝されてきました。
 重複標本は災害時のバックアップとしても機能します。第二次大戦中には、ベルリンやマニラなどの自然史博物館に収められていた重要な標本が戦災で失われるという悲劇が起こりましたが、重複標本が別の機関に送られて保存されていたために、学名の元となったタイプ標本が消失を免れた例が知られています。前原勘次郎は、自身の標本を京都大学・東京大学・当館などに送っていたことがわかっており、今回被害にあったものの重複標本がこれらの機関から見つかる可能性が残っています。人吉城歴史館の標本は、前原が手元に控えとして残していた標本であると推定されますが、前原が研究機関に送付した標本が詳細に研究されて新種が発表された例は少なくなく、そのタイプ標本の重複標本(副基準標本)が人吉城歴史館の標本中に相当数含まれていることが予想されるのです。前原勘次郎コレクションの全容が、今回のレスキュー活動を機に解明されることが期待されます。

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