2009-07-01

シカン発掘30年 ― インカ黄金文化の源流 (協力:人類研究部 篠田謙一)


シカン発掘30年

 アンデスの中部(※1),特に現在のペルーを中心とした地域では,古代から様々な文化が勃興と衰退を繰り返して来ました。地上絵で知られる南部海岸地域のナスカ,15世紀半ばにペルーのほぼ全域を支配し,黄金が有名な帝国インカについては,当館でも特別展として皆様にご紹介しました。

 一方,より赤道に近い北部海岸地域に栄えたのはこれらとは系統の異なる文化でした。例えばナスカとほぼ同時期,西暦100〜750年頃にはモチェ文化が繁栄しました。モチェはペルー考古学で最も研究が進んでいる文化のひとつで,ピラミッド状の神殿や,当時の人々の様子を描写した土器が残っています(詳細次項)。
 しかしモチェ衰退後,15世紀後半に南部高地地域からインカが勢力を拡大する以前のこの地域の文化は,最近までほとんど知られていませんでした。アンデスの文明には文字が存在しないこと,遺物の多くが盗掘者によって掘り出されたため,発見場所や状況の記録が正確でなかったり,悪くすれば記録そのものがないことが研究を困難にしていました。
 僅かな手掛かりはそれまでインカのものとされてきた遺物に混ざった,インカとは異なるデザインの金細工や土器でした。特に特徴的だったのは,遺物に描かれている神らしき存在の目の形です。丸い目を持った神に混ざって,釣り上がった大きな目(その形からアーモンドアイと呼ばれます)を持つ神の造形があったのです。
 
 日本人考古学者,南イリノイ大学の島田泉教授(現職)は,1978年,北部海岸地域の空白を埋めるべく調査を開始しました。教授がフィールドに選んだのは,北西部の商業都市チクラヨ(※2)から北に約60キロの町,バタン・グランデと周辺地域でした。
 バタン・グランデ周辺には,30基を越えるピラミッドがあります。ピラミッドはアドベ(日干し煉瓦)で造られ,大きなものでは底辺100メートル,高さ40メートルにもなります。年月を経て煉瓦が崩壊した今,森の木々の間に突き出した巨大な岩山のように見えます。
 この地域での広範なフィールドワークを経て,島田教授はこれらのピラミッドを造った人々こそが,北部海岸地域の空白の時代を埋める文化の担い手であり,アーモンドアイを持つ神を信仰した人々でもあったと確信するようになりました。
 モチェとインカの間の時代に栄えた,未だ知られていない国と文化を,島田教授はモチェのことばで『月の神殿』を意味する『シカン』と名づけました。

 1991年,バタン・グランデの西約10キロにある神殿群の中心的な建造物『ロロ神殿』の発掘が開始されました。そこは盗掘者たちが掘った穴や,金銭的な価値がないとして打ち捨てられていた副葬品の調査,更には盗掘者自身への聞き取り調査から選定された,複数個所の発掘地点のひとつでした。
 ロロ神殿は底面が一辺約80メートルの正方形で,高さは36〜37メートルあります。神殿北側にはプラットフォームと呼ばれる構造が南北におよそ150メートルに渡って伸びています。その神殿の底面,プラットフォームの東側の付け根部分で,当時の支配階級の人物のものと思われる墓が発見されました。
 墓は複雑な層構造を持ち,墓の主のほか生贄となった4名の人骨,黄金の仮面や黄金の装身具,トルコ石や紫水晶の玉などの豪華な副葬品を含め,発掘された遺物は1トンを超えました。そして仮面や杯に描かれた人物の目は,確かにアーモンドアイでした。

 島田教授のグループはその後も発掘・調査を続け,昨年までにロロ神殿のほぼ全域の発掘を完了しました。周辺での発掘調査とも併せ,シカン社会構造や宗教,人々の歴史なども明らかになってきました。

 今回のホットニュースでは,オープンまで2週間に迫った特別展『インカ帝国のルーツ ― 黄金の都シカン』に合わせ,シカンを含めたペルー北部海岸地域の文化史と,展示の見所をご紹介します。

※1 中央アンデスは南米大陸に進出した人類が農耕と牧畜を開始した当時から,それに適した地域でした。ジャガイモやトウガラシ,カボチャ,ピーナッツの原産地で,現在でも毛や革,肉が広く利用されている,リャマやアルパカなど家畜化されたラクダ科動物は,紀元前3,000年ごろには既に利用が始まっていた形跡があります。

※2 チクラヨの南東約30キロの郊外には,1987年に発見されたモチェの王墓,シパン遺跡があります。


写真上:ロロ神殿 下:プラットフォーム西側の墓の主体の発掘
(撮影 義井豊)