2009-07-01

シカン発掘30年 ― インカ黄金文化の源流 (協力:人類研究部 篠田謙一)


シカンへと至る途

 南アメリカ大陸に人類が進出したのは更新世の終わり,およそ16,000年前,ユーラシア大陸からベーリング海峡を渡り,北アメリカを経由して南下して来たのが最初と考えられています。ティティカカ湖の北北西約100kmの高地で発見されたペルー最古の人骨は約11,500年前のものです。

 今から4,000年以上前,海岸地方に土と石で造られた巨大建造物が出現しました。それは集落の長の住居とも,何らかの宗教的儀式の場であったとも言われ未だはっきりしませんが,建造の為の労働力を統率する,宗教的あるいは世俗的な支配階級が現れ,ある程度統制の取れた社会が既にあったことは解ります。

 北部海岸地域で現在知られている最も古い文化は,紀元前1,200年〜800年ごろに掛けて見られるクピスニケと呼ばれる祭祀文化です。
 クピスニケは国ではなく,地域によって異なる神話や文物の集まりでした。このためクピスニケの文化を一概に特徴づけることは困難です。
 土器の生産はこの頃始まり,バリエーションを変えながらこの後長く作られ続けることになる,馬のあぶみに似た形の取っ手のある水差しが登場しました。この頃始まったジャガーなどネコ科動物に対する宗教的崇拝も,以降長く続くことになります。
 クピスニケの文化はその後,北・中部高地地域に発生したチャビン(紀元前1,000〜200年ごろ)に統合されました。

 チャビンは宗教的中央集権国家であり,神殿チャビン・デ・ワンタルには各地から献上品や巡礼が集まっていました。迷宮のように複雑な神殿の地下室や,ランソンと呼ばれる石塔状の神像,生贄の祭壇などが残されています。

 チャビン文化は紀元前600年頃から徐々に衰退し,それと入れ替わりに北部海岸地域にも新たな文化が現れてきました。

 特に勢力を拡大したのがモチェ文化です。モチェの代表的な建造物,太陽のワカ(Huaca,神殿など神聖なものを表すケチュア語)と月のワカは,ペルーの第三の都市トルヒーヨの東約5キロにあります。アドベで造られたピラミッドで,太陽のワカは高さ30メートル以上,当時の南北アメリカ大陸に於ける最大の人工建造物でした。
 モチェの神々は人間と動物が融合した姿をしています。創造神で主神ともされるアイ・アパエックはヘビとコンドルと人間が一体化した神で,月のワカで見つかった壁画をはじめ土器や彫像にも多く登場します。

 モチェは宗教国家であると同時に戦闘国家でもあり,神官と戦士が政治の中心を担いました。宗教的な儀式の場では彼らが神や伝説そのものとなって民衆と対話しました。土器の文様から儀式はピラミッドの頂上で行われ,人々はピラミッドを取り巻く広場に集って儀式を見物していたことがわかっています。
 特に雨乞いの儀式では,戦争で捕らえた捕虜を神への生贄としました。トゥミと呼ばれる大きなナイフで首を斬り,王がその血を飲んでいました。生贄の首を持つアイ・アパエック神や,縄で繋がれた捕虜を描いたレリーフが残されています。

 モチェの文化で特徴的なのは,人間の顔を象った水差しや壷などの土器です。モデルは全て男性(顔型のもの以外では,女性を描いた土器もあります)で,傷や病気の痕など個人を特定できる具体的な特徴が描かれていました。
 職業は種族の長や戦士など公的に重要な地位にある人々が多く,一生のうちに何度もモデルにされている人物もいました。全く同じデザインが何千個も複製される場合もありました。
 政治的・軍事的主導者の顔を人々に覚えさせ,権力を強めたり正当化する役割を果たしていた可能性があります。

 モチェは同時期に周辺に成立した複数の文化と交流,時には征服しながら勢力範囲を拡大し,西暦450〜550年ごろに最大となります。
 しかし,西暦550年以降,モチェは急激な衰退の道を辿りました。滅亡の直接的な原因は諸説ありますが,550年代広範に発生したエル・ニーニョによる暴風雨・洪水,続く560年代から約30年に渡った旱魃が一因となった可能性があります。
 太陽と月のワカは放棄され,モチェの最後の約150年間はより水を得やすいモチェ川上流のガリンドが新たな政治的中心となりました。

参考:The Cultures of Ancient Peru(英文)
Luis Felipe Villacorta Ostolaza著 Stepen Light訳