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磐梯山 鳥島桜島

 1910年(1902年)の7月から10月にかけての大噴火の様子を記録した写真です。7月半ばからの前兆の地震と鳴動に続いて7月25日に北側山麓の洞爺湖畔に初めの爆発火口が開き、その後10月に噴火が鎮まるまでに火口の数は45個にもなりました。大量の火山灰・火山礫(れき)を噴出し、また泥流も生じました。人的被害は少なく、泥流による死者1名にとどまっています。後の昭和新山を形成したの噴火(1943-45年)のときと違い溶岩そのものは地上に現れませんでしたが、地下のマグマの上昇によって地面が持ち上がり、明治新山(一名四十三(よそみ)山)が形成されました。

噴火に伴う地震による被害 多くの火口から立ち上る噴煙
噴火口付近の降灰 噴火に伴う地震による倉庫の被害
爆発的噴火 噴煙 左は洞爺湖
洞爺湖東岸から噴煙を見る
 1910年11月
噴火口とその付近の降灰
 1910年11月
洞爺湖から有珠山を見る 噴火は終息に向かう 1910年11月 降灰による被害
 1910年11月
洞爺湖から有珠山を見る 噴煙の手前は隆起してできた明治新山(四十三山、よそみ山) 1910年11月 噴煙