1914年(大正3年)に桜島が大噴火をしました。大量の火山灰が噴出して麓の集落が埋まり、山腹から流れ出た溶岩は2方向に向かって海に達しました。そのうちの東側の溶岩流は対岸にまで届き、それまで鹿児島湾の中の島であった桜島は大隅半島と陸続きになりました。噴火の始まった日の1月12日にはマグニチュード7の地震が起こり、鹿児島市を中心に建物の損壊と死者が出ています。噴火と地震による被害は死者58人、全壊家屋120戸、その他農作物の被害が甚大でした。火山灰・軽石・溶岩の噴出物の総量は約2立方kmと見積もられています。このような大量の物質が地下から出たために大きな地殻変動が生じました。桜島はやや隆起したものの、北側の鹿児島湾北部を中心に広い範囲で地盤が沈降して、その大きさは最大2mに達したことが噴火後の測量で明らかになりました。