2009-07-01

シカン発掘30年 ― インカ黄金文化の源流 (協力:人類研究部 篠田謙一)

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シカン発掘30年
シカンへと至る途
黄金の都シカンの盛衰
シカン人のDNAをよむ

黄金の都シカンの盛衰

 シカンの時代は文化的な変化などから,初期・中期・後期の3つの時代に大別することができます。
 西暦800年からおよそ100年間の初期シカンについては,現在までに調査された遺跡の数が少ないため,詳しいことは良く解っていません。
 先行文化としてモチェや,モチェ衰退期に中南部山脈地域から侵入したワリがありますが,それらの文化や宗教的概念を継承したことが,発展の原動力のひとつとなったと考えられています。

 初めにご紹介したバタン・グランデ西の神殿群は,10世紀から11世紀の前半までに,中期シカンで造られたものです。
 神殿は政治,信仰,そして葬祭の中心であり,頂上部には祭壇,底面周辺には多数の墓所が造られていました。祭壇は天へ,墓所は地底へ向かっていることから,天と地を,更にはその両者に挟まれた地上をひとつに繋ぐ,シカンの宗教的世界観の中心ともなっていました。

 中期シカンの美術様式の特徴のひとつ,仮面や土器など様々な場面・用途に登場するアーモンドアイの人物は,シカンの創世神(※3)の姿を描いたものです。

 シカンの宗教にとって支配者の葬礼は非常に重要な意味を持つものでした。
 支配者が亡くなると,遺体は人々が見守る中,埋葬の場へと運ばれます。副葬品は死者が次の生で使うためのものとされ,全て人々に公開されました。
 墓所の中まで付き従うのはごく少数の人々でした。死者に被せられる黄金のマスクは目・鼻・口の穴が開いておらず,生前から使っていたものではなく埋葬専用とも考えられます。死者の魂は祖先の下へ飛び去り,マスクが象徴する神と同列になると信じられていました。

 副葬品は,シカンの人々が築いていた広範な交易ネットワークを知る為の手掛かりでもあります。黄金の源となる金鉱も,多数副葬されていたウミギクガイやイモガイなどの貝も,バタン・グランデ周辺では手に入らないものでした。金は東方,マラニョン川の流域に,貝は北方,赤道に近い地域に求める必要がありました。

 中期シカンで特に発達していたと思われる技術に,土器製作と金属精錬があります。
 中・後期シカンの土器の特徴のひとつが,表面が黒く,特徴的な光沢を持っていることです。窯を密閉して内部の酸素濃度を下げ,800℃以上の高温で焼成することにより,薪などの有機物を含んだ燃料から発生した煙に含まれる炭素が土器に浸透し,更に表面に黒鉛の結晶層をつくります。これにより,鉛筆の芯の色のような,光沢のある黒が生まれたのです。
 金・銀・銅からなる合金『トゥンバガ』の製作技術はモチェの時代に生まれ,シカンで完成されました。金の含有量はそれほど高くなく,低いものでは十数パーセント程度でしたが,酸を使って表面の銅や銀を取り除くことで,美しい金色を作り出すことができました。
 純金の細工も勿論作られており,こちらはハンマーを使って伸ばした金の薄板が使われていました。透かし彫りやロストワックス,彫刻など,現在にも通じる様々な技法が組み合わせられ,製品も王冠や腕輪,胸当て,紋章など多岐に渡りました。

 シカンの社会には歴然とした身分・階級制度がありました。
 身分の違いを如実に表したもののひとつが,墓の副葬品です。最も身分の低い庶民の墓では,金属製品は砒素銅(青銅)製のものしか見つかっていません。中間的な階層の人々の墓の副葬品は,砒素銅のほかにトゥンバガや,砒素銅・銀の合金で作られていました。金の含有量の高い合金は,最も身分の高い人々の墓にのみ許されたものであったようです。

 シカンの衰退と滅亡は,モチェの場合と良く似た経緯を辿っています。1020年ごろから30年続いた旱魃と,それに続いて1050年ごろから50年に渡る極めて大規模なエル・ニーニョによる豪雨・洪水によって神や支配者に対する信頼が揺らいだのです。バタン・グランデ西の神殿群は政変により焼き払われ,人々は約10キロ西方,現在のトゥクメに新たな拠点を築きました。
 後期シカンは,トゥクメに移った後,西暦1100年ごろに始まります。美術様式は中期のものと大きくは変わりませんが,政変に伴い信仰が失われたのでしょう,アーモンドアイの神のモチーフは姿を消してしまいました。
 1375年ごろ南方からチムー王国の侵攻によってシカンは滅亡を迎えました。しかし文化や美術はチムーのものと混合する形で引き継がれ,更におよそ100年後には北部海岸一帯を支配下に収めたインカ帝国の文化へと取り込まれていきました。

※3 16世紀,スペイン人の年代記作家バルボアが,現地住民以外として初めて,後にシカンと呼ばれることになる文化とその伝承・神話を記録しました。
 バルボアの記録によれば,シカン文化は北の海から訪れた祖先ナイムラップによって伝えられました。ナイムラップは当時北部海岸地域に住んでいた人々(モチェの末裔であるかどうかは触れられておらずはっきりしません)に政治や農業,芸術を教えたとされており,シカンの創世神として信仰されました。

写真:ロロ神殿東の墓の黄金仮面(撮影 義井豊)

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