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長原 孝太郎 1909(明治42)年
長原孝太郎は、1864(元治元)年大垣に生まれ、1898(明治31)年東京美術学校教授に就任する。1909(明治42)年第三回文展に「入道雲」を出品し、褒状を受賞している。
粗目の双糸織りの亜麻布(顕微鏡写真)に薄層の白色地塗りが行われている。
画稿があり、それを拡大転写している。その際の升目の縦横線が赤外線写真、赤外線テレビ画像写真で観察される。縦辺は八等分、横辺は四等分されている。正確な転写を要求される部分には、さらに二等分線、対角線が引かれてある。その基準線をもとに、木炭素描が行われている。
画面全体は、下層に赤色、上層に緑色が塗られ、その結果どちらともいえない暗灰色気味の暗調子が形成される。下層の赤色は純暗色で、クリムソンレーキなどの透明色であり、そこにビリジャンなどの透明な緑色が重ねられている。それが、そのまま完成時の陰影部に生かされている。陰影描写に褐色などの土性顔料および黒色などはまったく使用されていない。
明部には鉛白を用い、肉付けが行われているが、乾燥がすでに始まっている絵具が使用され、織目の凹部には流れ込んでいない(顕微鏡写真)。すなわち、純色に近い透明な暗色が塗られ、そこに鈍色で不透明な明色が擦りつけられるように塗られている。そこに、粗目画布に特徴的に見いだせる凹凸の表面構造を巧みに利用した視覚的な明暗の諧調と、色彩混合が生じている。いわば、新印象派における点描的彩色方法とかなり似通った画面効果である。
ほぼ逆光の状態で老人が雲上に配置され、朦朧とした空間が描かれている。その明暗の諧調を色彩に教条主義なまでに置き換えているといえないだろうか。外光派が行き着いた一つ典型例といえるだろう。
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