ヨシモトコレクション

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W. T. ヨシモトとコレクション

国立科学博物館 地球館3F展示室「大地を駆ける生命」の剥製の大半は、ハワイの実業家、故ワトソンT.ヨシモト氏(1909~2004)より寄贈された「ヨシモトコレクション」の一部である。ヨシモト氏はハワイのオアフ島で、1909年に日系二世として生まれた。働きながら独学で建築を学び、後に自らの会社を創立し、大きな成功を収めた。家族の食料を得るために始めた狩猟は、実業家として名を上げてから全世界への旅へと本格化し、狩猟家としても世界的に著名である。「ヨシモトコレクション」は世界的規模の大型哺乳類剥製標本を主とする約400点からなり、現在では調査が困難な地域の標本も多数含まれており、きわめて学術的価値の高いものである。収集された剥製はハワイの人々に野生動物の魅力を伝えるために、私設博物館(Wildlife Museum)に展示されていたが、 晩年、コレクションの保存を考慮して、1997年に当館へ寄贈されるに至った。

ヨシモトが体験した多様性・・・ヨシモトのサファリ旅行記

ヨシモト氏が初めて海外でのハンティングを経験したのは1957年9月、カナダのロッキー山脈でのことである。以後彼は1995年までの毎年、合計156回のハンティング旅行を行った。何が彼をそうさせたのか?彼のハンティングとの出会いは、若かった時代に家族のための食料を得るための必然的なものであったらしい。その後彼は実業家として成功し、各地で野生動物の姿を見る機会に恵まれるようになり、またレジャーとしてハンティングを楽しむようになったようである。しかし彼の考え方は少しずつ変化してくる。野生動物の姿を剥製として記録し、残すこと、そしてそれらを陸生の野生動物が少ないハワイの人々に紹介すること、そういった考えが彼の中に芽生えてきたようだ。彼はアメリカのセオドア・ルーズベルト大統領を敬愛していた。ルーズベルトのように剥製のコレクションを博物館で利用し、また野生生物の保護を目指した活動を行うことが、後年の彼の目指すところとなっていく。彼のW.T. ヨシモト財団は、彼の生前から死後にいたるまで、さまざまな保護団体に寄付活動を継続して、今もなお彼の意思を受け継いでいる。

ヨシモトが残した多様性・・・ヨシモトコレクションの魅力

ヨシモトコレクションは1957年から1995年にかけて世界中から狩猟によって得た標本群である。1997年から1998年にかけて、ハワイ・オアフ島のW.T.ヨシモト財団より国立科学博物館へ寄贈された。哺乳類・鳥類・爬虫類の標本約400点からなり、種数は全173種(鳥類13種、爬虫類2種)を含む。その多くは全身が剥製として残されており、内訳は全身剥製267点、頭部剥製98点、半身剥製7点、なめし皮7点、頭骨1点、角8点、牙10点である。剥製の製作を手がけたのは、アメリカ合衆国ワシントン州シアトル市のクラインバーガー社で、その優秀な技術は、動物の細部を見事に再生しているといえる。特に頭部に浮き出した血管の様子や、肛門周辺の造形は見事で、またいくつかの標本では生きていたときの行動を再現して作製されている。全ての個体について捕獲した時期と場所が記録されており、また各ハンティングの記録は付帯資料としてキャビネットに収められている。ヨシモト氏が記録として剥製を残すことを重視したことがうかがわれる。

ヨシモトが目指した多様性の啓蒙

ヨシモト氏のコレクションは、1972年にハワイのビショップミュージアムへ寄贈された。ところがこの博物館で彼のコレクションはさほど重要に扱われなかったようである。彼は展示などで有効に利用され、ハワイの人々に野生動物の多様性を体感できることを希望していたが、そうはならなかったのである。そこで彼は自己の財産でコレクション全てを買い戻すという行為にでた。そして彼が経営していたボーリング場を改造して、自身の博物館「Wildlife Museum」で展示を実現する。彼は現役を退いた後もこの博物館の事務室で日中を過ごし、来客の子供たちが訪れたときには自分で案内してまわったという。1997年に彼はハワイでの展示を取りやめ、日本の国立科学博物館にコレクションを寄贈することを決意した。その後国立科学博物館ではヨシモトコレクションを用いたさまざまな展示への利用を行い、また他館への貸出なども積極的に行うことによって、貴重な哺乳類の姿を紹介している。

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