A Review of Coleopterology in Japan, contributed to a Japanese entomological journal, "Gekkan-mushi"
「月刊むし」誌所載 「1998年の昆虫界をふりかえって:甲虫界」第1部(前半)


1999年5月発行

1998年の昆虫界をふりかえって

甲 虫 界

国立科学博物館動物研究部 野村周平

1.はじめに
 ここ数年来、我が国における甲虫関係の情報はすさまじいまでの量に膨れ上がり、それを流し続けるチャンネルも、従来のような出版物、学会誌や同好会誌、学会発表ばかりではなくなってきた。全ての群にわたってこれらの情報を総括するという仕事は、かつて本欄を支えてこられた中根猛彦先生や、「昆虫と自然」誌でレビューを行っておられる森本桂先生ならばいざ知らず、何を間違ったか白羽の矢が中たってしまった私にとっては余りにも任の重い仕事である。しかしながら、出来上がったばかりの「世界のハナムグリ大図鑑」を小脇にかかえて直々に依頼に見えた藤田さん以下本誌編集部の熱いご期待にいくらかでもお応えするべく、本欄を担当させていただくこととなった。特に同好会誌などについては多数の見落としや遺漏があると思われるが、ご容赦いただきたい。甲虫学界の大きな動向をつかむ上で重要な業績はなるべく落とさないよう注意したつもりである。無論それすらも私一人の力では不可能であるので、以下にお名前を挙げた方々に原稿をチェックいただき、重要なご教示を賜った。記して厚く感謝の意を表したい。上野俊一(国立科学博物館)、森本桂(九州大学)、佐藤正孝(名古屋女子大学)、高桑正敏(神奈川県立生命の星・地球博物館)、岩田隆太郎(日本大学)、荒谷邦雄(京都大学)、大原昌宏(北海道大学)、八尋克郎(滋賀県立琵琶湖博物館)、上野輝久(九州大学)。
 ヤ98年の回顧ということであるが、ユ96年(森本、「昆虫と自然」)より後にはこのような仕事がないようなのでヤ97年にまでさかのぼって記述する。結果、量が2倍になってしまって読みづらいかもしれないが、ご了承いただきたい。また、本稿では単行本として出版されたものについては詳しく再録しないので、本誌の紹介記事などを参照されたい。雑誌、講演要旨集については、以下の章で文献データもなるべく収録することとするが、引用した誌名は次のように略記し、通巻頁になっているものは号数を省略する:ESC: Entomological Science(日本昆虫学会誌;1998年5月創刊);JJE:Japanese Journal of Entomology(日本昆虫学会誌;1997年で終刊になり、前誌に引き継がれた。また、和文誌は「昆蟲ニューシリーズ」);EL:Elytra;ERJ:昆虫学評論(Ent. Rev. Japan);EDA:Edaphologia;SPE:洞窟学雑誌(J. Speleol. Soc. Japan);JSE:Japanese Journal of Systematic Entomology;ESA:Esakia;BSM:国立科学博物館研究報告(Bull. Natn. Sci. Mus., Tokyo);KR: Koleopterologische Rundschau;NE: New Entomologist;本誌:月刊むし;昆自:昆虫と自然;甲ニ:甲虫ニュース;ねじ:ねじればね;ラメ:Lamellicornia;おニ:BNHおさむしニュースレター;北昆:北九州の昆虫;日本昆虫学会第57回大会講演要旨:昆57会:同上58回:昆58会;日本鞘翅学会第10回記念大会研究発表要旨集:鞘10会;同上11回講演要旨集:鞘11会.他は略記せず。

2.甲虫学界の国際的動向
 本誌327号に紹介された「国際動物命名規約(ICZN)」の改訂作業は予定よりも遅れており、新版(第4版)は今年1月付けで発効の予定だったが、今年中頃に出版、2000年1月1日から発効、ということになったようである。内容的には本誌で紹介されたものとほとんど変わっていない。この情報源については次章参照。
 ヨーロッパではヤ92年頃から各国(地域)別の甲虫チェックリストが相次いで出版されていたが、最近になってさらなる分類学的一大プロジェクトが進行している。それは旧北区産甲虫全種の目録、「Palaearctic Beetle Catalogue(正式名称はCatalogue of the order Coleoptera of the Palaearctic Regionというらしい)」である。これは最初チェコの研究者によって発案されたもので、全ヨーロッパの甲虫研究者が協力している。今後5年以内の出版を目指しているとのこと。野村の元へもスイスのI. L喘l氏からアジアのアリヅカムシをチェックしてくれとのことで、分厚いリストが送られてきた。このカタログがどのような内容であるか、水生甲虫についてはスウェーデンのN. A. Nilsson氏が、その原稿を彼のホームページ上で公開しているので、簡単に閲覧できる。ポートレートの右目がビカビカしているこのサイトへは次章に挙げる「Water Beetle World」から行けばよい。このプロジェクトでの大きな目玉は何と言ってもアジアにおける甲虫の種数の飛躍的な増加であろう。当然ながら、ヨーロッパの甲虫学者だけではアジアの膨大なファウナをフォローしきれないので、アジア、特に日本の研究者にも協力の依頼が来ている。これが出版された暁には、アジア旧北区の甲虫相の全体像がおぼろげながらつかめてくることになろう。それと同時に研究が遅れている分類群、遅れている地域、各国研究者の見解の違いなど、今まではっきりしなかった問題点が露わになってくることが期待され、このカタログの意義は非常に大きいと思われる。北米やニュージーランドでもこれと方向性を一にするような仕事が見られるようだ(北米:「Nomina Insecta Nearctica」vol. 1;フロリダ:Peck & Thomas, 1998;ニュージーランド:Klimaszewski & Watt, 1997)。
 数年前から特に顕著になってきたことだが、中国やインドシナ、あるいはチベットなどの甲虫標本が大量に、チェコなど東欧諸国を経由して欧米の研究者に流れているようである。これらの材料を使ってアジア産甲虫の新種が続々とヨーロッパ人によって書かれている。カナダのA. Smetana氏のように路線バスを乗り継いで中国奥地を放浪し、大量の小甲虫類を持ち帰って自分で記載するような強者もおられるようだが、大半は採集人の手を経たものであろう。良くも悪くも、世界中の甲虫学者がアジアに関心を持っていることは事実だ。具体的には、Entomologica Basiliensia 20巻には、W. Wittmer氏によるアジア産ジョウカイの大論文、Legalov氏のシベリア〜極東地域のゾウムシ類など多数のアジア関係論文がひしめいているし、フランスのColeopt屍峻誌3〜4巻にも中国産ツヤハダクワガタの分類(3新種を含む)や、中国のセダカオサムシなど重要論文が目白押しである。
 日本やアジア各国の研究者は否応なくこのような流れの中に放り込まれていることを認識し、行動することを迫られている。研究者の多い分類群ではもうすでに熾烈な競争が始まっていることだろう。これからは、お互いに材料と情報を交換しあい、作業を分担して行う、「合従連衡」の心構えと態勢で臨まなければ、電子化によってスピードアップした欧米の動きについて行くことすらできまい。最近、台湾や韓国の若い甲虫研究者(主に学生)が頻繁に日本の研究機関を訪れ、タイプを調べたり、文献を集めたりしている。彼らの渡航や研究者の紹介、論文投稿のお世話を引き受けておられる佐藤正孝氏らの働きは将来高く評価されることになろう。

3.甲虫学界における電子化の動き
 この数年間での、甲虫をめぐる状況の中で特筆されるべき変化というのは、まず第一に、冒頭にも述べた情報チャンネルの多様化である。特にインターネットにおける情報の氾濫にはただただ目を瞠るばかりだ。我が国では甲虫関係のWEBサイトはそれほど数も多くなく、しかもその大半がクワガタの飼育に関わる「生き虫」関係の業者や愛好家個人のサイトであり、甲虫学関係では研究者の個人サイトが目立つ。しかし海外ではインターネットはすでに極めて重要な情報ソースとして機能しているのであり、その情報のオリジナリティの高さ、学問的、教育的な質の高さには端倪すべからざるものがある。従来、雑誌や書籍として流通し、蓄積されてきたデータですら、着実にデジタルネットワーク化への道を歩み始めている。
 野村がアクセスしたものの中で、注目されるサイトをいくつか挙げてみよう。まず、「世界のヒゲブトハネカクシ画像データベース」(URLは章末リスト中1を参照、以下同様)は、韓国の若手ハネカクシ研究者K.-J. Ahn氏がカンザス大のJ. S. Ashe氏と共同で開発し(このプロジェクトについては図1参照)、一昨年公開されたものであるが、世界中のヒゲブトハネカクシの画像を学名、地域などによって検索し、閲覧することができる。サムネールを使って次々に検索でき、あたかも博物館で参照標本を閲覧しているような錯覚に陥る。同じくハネカクシ関係では昨年、ベルギーのD. Drugmand氏によって「ハネカクシ類(Staphyliniformia)研究者のホームページ」(2)が開設され、これには研究者の紹介の他、関連サイトへのリンク、求人案内、出版案内などに加えてFagelコレクションのタイプ標本データベースが登載されており、利用価値が高い。リンクも充実しており、 Coleopteristsヤ Society(カンザス大)やColeopteristsユ Bulletinなど国際的な昆虫学会や昆虫学雑誌のサイトへのキーステーションとしても使える。テキサス大のSharon K. Jasper女史が開設した水生甲虫のサイト「Water Beetle World」(3)はホットなニュースが並んでおり、極めて有用である。冒頭に昨年亡くなったFrank Young氏の追悼記事があり、先に紹介したPalaearctic Beetle Catalogueプロジェクトの記事もあった。また、このサイトから、「Balfour-Browne Club」のサイトへも行ける。J. F. Lawrence氏らが作ったElateriformia幼虫のデータベースはテキストが多く専門家向き。画像もついているが一寸物足りない。このサイトは後に述べるBIOSISのリンクから入れる。
 これら甲虫学関係のサイトは一般のサーチエンジンにはなかなか引っかかってこず、Yahooなどのリストも誠にお粗末だ。ヴァージニア工科大昆虫情報研の学生、Jun Fan氏が開設している「Insects on WWW」(4)などがそのかわりにキーステーションの役割を果たすだろう(但し、野村の環境ではやけにアクセスに時間がかかる)。このサイトは6000件もの昆虫関連サイトを集めているが、半分くらいは害虫関係である。BIOSISでもグループ別のサイトをリストアップし、リンクできるようになっており(5)、やや使いづらい面はあるがアクセスは早い。
 日本昆虫学会でも一昨年からWEBサイトの開設委員会を設けて昨年1月に開設したので、これは国内での窓口としても利用できるだろう(6)。各国昆虫学会のサイトや、国際昆虫学会議(ICE)の案内、全生物の壮大な系統樹の構築を目指した「The Tree of life」のプロジェクトもこのリンクを通じてアクセスするとよい。国際動物命名規約に関する最新の情報はホームページ上(7)で見ることができる。日本語での概要が知りたければ、日本動物分類学会ホームページ(8)へ行けばよい。個人が設けたサイトとしては、蝶屋さんが開設している「Jamides home page」(9)が全昆虫に関して収集しており、これはアマチュアには大変有用である。甲虫関係の優良サイトとしては次のものが目についた。石蔵拓氏が開設した「カミキリ情報館」(10)は関東県別天牛目録を登載した力作、岩瀬一男氏の個人サイト「KIヤs Passalus Page」(11)はクロツヤばかりでなく大形コガネムシ類の重要な資料、安達真一氏のサイト「福島県のクワガタムシ」(12)は、台湾採集記やエサケリスト大会の記事があり楽しい。芦田久氏の「Insects and Caves」(13)は洞窟甲虫やハンミョウの貴重な写真を掲載している。ごく最近開設された石谷正宇氏の個人サイト(14)は、白神山地のゴミムシや、生命誌研究館、群馬県博のオサムシ、ゴミムシ関係へ直行でき便利。大阪市自博の初宿成彦氏も博物館サイト内に個人の部屋「しやけのドイツ箱」(15)を開設されており、話題が多彩で面白い。自然系の各博物館で所蔵標本のデータベースを作成し公開することが流行のようになっており、甲虫も散見されるが、標本は大したことがなく、解説は通り一遍のもので、がっかりさせられることが多い。結局のところ、これらの情報の質というものは全てサイトを預かる担当者の、昆虫学的な力量及びセンス如何であるといっても良いだろう。  最近はさまざまな動物群でカタログの類が電子出版の形で公開されており、これはコンピューター画面上で検索できるので、本物の出版物よりも便利な面がある。先に挙げたハネカクシ類サイトのリンクからも「カナダおよびアラスカの甲虫チェックリスト」(16)や「ニュージーランド節足動物コレクション」(17)(ニュージーランド産全節足動物の属名が検索できる)、また、ハワイBishop Museumの節足動物データベース(18)へ直行できる。
 このような電子情報は信頼性や著作権など、質の点で多くの問題を抱えているが、その早さと情報量の多さには捨てがたい価値がある。これからの研究者は、電子情報ネットワークを利用できるに越したことはない。しかし、それには様々な形で大変なリスクがつきまとうから、情報を上手に取捨選択し、リスクを回避できるような免疫機構を身につけて行くことも重要だ。
1) http://www.nhm.ukans.edu /ksem/aleoshow.cgi#overview
2) http://www.umh.acbe/zoologie/staphyliniformia/ staphyliniformia.htm
3) http://www.zo.utexas.edu/faculty/sjasper/beetles/ Index.htm
4) http://www.isis.vt.edu/~fanjun/text/Links.html
5) http://www.york.biosis.org/zrdocs/zoolinfo/grp.-col.htm
6) http://wwwsoc.nacsis.ac.jp/entsocj/home.htm
7) http://www.iczn.org/code.htm
8) http://wwwbase.nacsis.ac.jp/jssz2/index.html
9) http://ux01.so-net.or.jp/~jamides/links.html
10) http://www2.gol.com/users/nanacorp/
11) http://www2.marinet.or.jp/~kazuo/Index.html
12) http://www1.linkclub.or.jp/~shin/
13) http://member.nifty.ne.jp/reed/INDEX.HTM
14) http://member.nifty.ne.jp/carabid/index.html
15) http://www.mus-nh.city.osaka.jp/shiyake/shiyake. html
16) http://res.agr.ca/brd/beetles/french/html/srchtmp/ html
17) http://www.marc.landcare.cri.nz/nzacdocs/ coleoptera-genera-nzac.html
18) http://www.bishop.hawaii.org/bishop/HBS/ arthrosearch.html

4.ひと、研究会、学会の動き
 昨年8月にホタル上科などを精力的に研究しておられたバーゼル自然史博名誉館員のWalter Wittmer氏が昨年6月29日、ガンで亡くなられた。氏はBeitrag zur Kenntnis der Palearktischen Cantharidae und Malachiidaeなど、日本のものを含めたアジアのジョウカイ、ジョウカイモドキファウナを活発に研究されていただけに大変残念なことである。論文は7章で示すように、現在でも出版中のものが少なくない。
 日本の甲虫界では、10〜11月になって立て続けに大きな訃報が3つも舞い込んできた。10月5日、カミキリ界の大御所であり、日本甲虫学会の現会長であられた、林匡夫氏が亡くなられた。氏は高知大学の小島圭三氏と共に保育社刊「原色日本昆虫生態図鑑气Jミキリ編」を著されたが、この書が甲虫界にもたらした影響は計り知れないものがある。現在昆虫界ばかりでなくさまざまな自然科学、または人文科学の方面で活躍されている方でも、この本を携えてカミキリ採集に若い血をたぎらせた方々は少なくないであろう。
 林氏とほとんど時を同じくするかのように、現在の日本鞘翅学会の前身である鞘翅目学会の会長を長く務められ、アマチュアによるカミキリブームの原動力のお一人であられた、草間慶一氏が10月6日、74歳で亡くなられた。氏の薫陶を受けられたカミキリ研究者、愛好家は相当な数に上る。このビッグネームお2人の死去は甲虫界の大きな損失であるばかりでなく、時代の転換を象徴的に物語っているかのように見える。
 11月10日、タマムシなどの研究家として著名であった秋山黄洋氏が43歳で早すぎる死を遂げられた。むし社刊「世界のタマムシ大図鑑」の編集が進行中であっただけに大変残念なことで、関係者への衝撃も大きかったようである。
    本誌を始め、各学会誌などにそれぞれ追悼記事が掲載されているので、詳細はそれらを参照いただきたい。3名の方々の生前の偉業を振り返ると共に、心よりご冥福をお祈りする次第である。このような大家が亡くなられた後の標本文献などの資料の整理には、関係者は大変腐心するものだが、草間氏は実にきちんと整理されておられたそうである(高桑氏による)。この際、我々も標本の貸借、タイプ標本の種類、所在の明示など誰が見ても判るよう整理しておかねばと心したことだった。
 大学関係では、愛媛大昆虫学教室が教授に大林延夫氏、助教授に医学部から酒井雅博氏を迎えて、甲虫屋の一大牙城を形成することとなった。昨年は鞘翅学会大会を主催し、今年9月には昆虫学会大会を引き受けるという活躍ぶりである。九州大学では一昨年、森本桂教授が退官、昨年は付属彦山実験所が閉所となり、英彦山の主としてゆかりの虫屋たちに慕われてきた中條道崇助教授も退官された。60年以上の永きにわたって、地元のアマチュア、全国の昆虫研究者、さらには世界各国の昆虫学者らの一大交流拠点であっただけに寂しいニュースである。これに伴い、彦山生物学実験所に所蔵されていた中條道夫、道崇両氏のタイプ標本は九大昆虫学教室へ寄贈され、そのリストが作成された(ESA (37): 39-56; (38): 1-28)。甲虫は第1部で3科59属89種、第2部では19科91属140種に上り、国内有数のコレクションであることは言うまでもないであろう。関東では神奈川県立生命の星・地球博の高桑正敏氏が東京農大から博士号を授与されたことが嬉しい話題であった。博士論文はオビハナノミ属の分類で、今年博物館の研究報告で出版予定とのことである。
 さて、ここ数年の甲虫学界はやはり、日本鞘翅学会、日本甲虫学会に加えて、四国昆虫学会から発展した日本昆虫分類学会などの関係学会を中心に動いてきたように思われるが、分類群ごとの研究グループの台頭も見逃してはならないだろう。ゴミムシ類、特にナガゴミムシの愛好者によって、ヤ93年に結成されたプテロ会は東京農大の松本浩一氏、佐藤陽路樹氏らが中心になって活発な活動を行っている。「プテロ会ニュース」は20号を重ねており、ナガゴミムシ類の分布、生態の解明は急速に進んだ。ユ95年から活動を行っていたハネカクシ談話会は千葉県博の直海俊一郎氏と野村が主宰しており、会員はすでに60余人に達している。研究発表会と採集会を年1回ずつ行っているが、種類の多い、多様な群を扱うだけに話題がつきることがない。地表性甲虫談話会はヤ97年頃から本格的に活動を始めた。広島県の石谷正宇氏と滋賀県立琵琶湖博の八尋克郎氏が世話役となっている。昨年彦根市で開催された日本昆虫学会大会の小集会として開かれた本会の第2回大会ではオサムシやコガネムシ、その他甲虫研究者での活発な議論がもたれた。コガネムシ上科専門の研究グループであるラメリコルニア研究会は、会誌「Lamellicornia」13,14号を発行し、コガネムシ上科の採集記録や分布、生態に関する多数の知見が報告されている。会誌の発行が遅れ気味である点は気になるが、ミーハーな同好会が増える中で本研究会のような硬派の存在は貴重である。カミキリではピドニア研究会が、窪木幹夫氏、平山洋人氏、筒井謙氏らの手により運営されて、今年で15回目を迎えた。窪木氏による精緻な分類により、日本列島の本属は非平衡点にあって、活発な種分化の途上にあることが示されつつあるという。
 これら分類群別研究会は人数こそ少ないものの、情報交換の活発さ、フットワークの軽さが身上で、いずれは甲虫学界の中でワークショップ、あるいは実働部隊として、むしろ中心的な役割を果たしていくだろうと私は予測している。甲虫全体という枠が、研究するには余りにも大きすぎる枠組みとなってしまったのがその原因であることは明らかだ。ヤ97年から日本鞘翅学会大会でも分科会を設けて、分類群ごと、テーマごとの議論にスライドしつつあるが、学界全体としてそういう方向に進まざるを得ないと思われる。

5.地域甲虫ファウナの解明
 近年になって都道府県や市町村など地方自治体の単位で甲虫のみならず昆虫全体のリスト作りが各地で活発に行われるようになった。地域甲虫相の解明が進むのは大変結構な話だが、反面いろいろな問題を抱えていることも事実である。特に大きな問題として、リストの出版形態が挙げられるだろう。自治体が主体の調査や環境アセスメントの調査報告書など、正式な出版物としてではなく、内部資料として少部数の出版にとどまることが多く、内容は重要なのに、体裁がいい加減なものが多い。また、報告が出なかったり、著しく遅延する場合もある。これら報告書類は図書館や書店の文献検索ネットワークには一切引っかかってこないので、収集したり参照することが極めて困難である。この点、調査に携わる地元のアマチュアの方々には是非留意していただきたい。結果の一部、あるいはレビューを地元の同好会誌にでも再録していただきたいと思う。
 このような状況の下で水野弘造氏は関西甲虫談話会資料13として「地域別総合甲虫類目録一覧()」を発刊した(1998)。これには、古いものから、最近のものまで、都道府県別に分けて、地域甲虫相のリストを集めた労作である。市町村史からアセス報告書まで含まれており(無論、全部ではないと思われる)、非常に役に立つものである。残念ながら本書はコピー製本の自刊本で、著者に連絡して分けてもらうしかない。その点でやはり本書も収録されているもの同様、入手の難しいものであるが、「ねじればね」にその案内(ねじ (78): 17-16)と、目録の追加(ねじ (80): 11-14;(81): 6-8)が出ている。
 これらによると、最近出た都道府県別のリストは以下の通りである(「」括弧内は甲虫リスト(論文)名ではなく、それが含まれている書名)。吉越ら(1998)「埼玉県昆虫誌」(107科、2736種)、高羽ら(1998)「石川県の昆虫」(103科、2732種)、比婆科学教育振興会(1997)「広島県昆虫誌」(101科、2728種)、山地(1997)「岡山県産昆虫目録」(108科、2732種)。いずれも大変な労作で、大著である。これら4県の甲虫リストが期せずして科数も種数もほぼ一線に並んでいるのは驚くべき偶然といえるのではなかろうか。
 都道府県単位で現在最大の種数を誇るのは神奈川県の3,866種で、これは地元小田原市の平野幸彦氏と神奈川昆虫同好会の甲虫屋諸氏の長年にわたる努力の賜である。この平野氏が昨年、64歳すなわち虫寿(64=ムシ)を迎えられたと言うことで、神奈川虫報の記念号(特別号第2号)が出版され、それにこの神奈川県産甲虫リストが掲載されている。これに寄せられた佐々治氏の祝辞が振るっていて、「吾輩が、あえて福井大学教授ではなく、福井昆虫研究会編集幹事の肩書きで執筆したのは、平野さん、城戸さん、的場さんたちと対等の土俵で勝負したかったからである」とのことである。“勝負”とはなんぞや?野村は、これは(大変よい意味での)ゲーム感覚であると見た。知力と体力と組織力の限りを尽くしての、いやはやとんでもないゲームである。
 このような動きを受けて、鞘翅学会では一昨年の記念大会から地域甲虫相分科会を設けたが、この分科会が非常に盛況で、関心の高さを如実に示している。昨年の大会では「地域自然史研究の意義と問題点」というテーマでシンポジウムが組まれ、佐々治氏を座長に平野氏、城戸克弥氏(福岡)、的場績氏(和歌山)、管晃氏(愛媛)が講演を行った(鞘11会:10-14)。なかんずく平野氏が講演の冒頭に「カミキリの時代は終わった。これからはハネカクシとゾウムシの時代です」と喝破されたことは、甲虫界の状況を反映しており、大変印象深いものであった。これらの経緯は本誌(335): 28-29に詳しい。
 冒頭に述べた文献としての体裁の問題もさることながら、これだけ盛り上がってきた「地域ファウナ学」といったものが、地方アマチュアの道楽のように受け取られ、昆虫学界で正当な評価を得られていないのはきわめて深刻な問題である。これはつまり、ファウナ調査に参与する研究者(特に大学の)の業績が、その労力に比して低い評価しか得られず、結局研究者がそのような調査に参加することを避けてしまうという事態として表れる。一方で生態学関係で最近盛り上がってきた「インベントリー」研究は分類研究者と生態研究者が共同して研究を進めて行くことができる場として、双方研究者の熱い注目を浴びている。「インベントリー」(元の意味は「財産目録」)とは一定地域の群集あるいは生態系における生物の目録作りであり、現実に行っている作業は地方ファウナ研究と何ら変わるところはない。これら2つの流れを統一する方向へ進むことはできないのだろうか?これからの分類研究者はそのようなより広い視野に立って研究を進めて行くことが求められるのではないだろうか。

6.甲虫学界における分子系統学の発展
 古典的な記載分類が大勢を占める甲虫学界に新風を吹き込み、熱い論議が交わされるようになった分野として、DNA塩基配列を使って生物群の系統関係を探る、いわゆる分子系統学の台頭が挙げられる。これは特に大澤省三氏、蘇智慧氏ら、JT生命誌研究館スタッフの活躍によるところが大きいのは誰しもが認める点であろう。大澤、蘇氏らは、オサムシの権威である井村有希氏らと共同で、オサムシ各群の系統解析を行っている。彼らの研究を良く知るには生命誌研究館が発行している「BRHオサムシニュースレター」を見るのが最も簡便で詳しいが、このニュースレターが今年、第20号をもって終刊するとのことである。これは誠に残念至極といわねばなるまい。昨年、一昨年の本紙に掲載された彼らの研究成果の主なトピックスを大まかにまとめると以下の通り。まず、マイマイカブリの分子系統はコアオマイマイ以北の群とヒメマイマイ以南の群で大きく2つに分けられ、これらから、本群の日本列島における進化放散プロセスが推定され(おニ (10): 16-17;(13): 1)、新しい分類体系が提唱された(同紙 (12): 3-7;(15): 1-5)。オサムシ亜族(Carabina)の形態から分類された8亜群の分子系統解析を試みたところ、より上位で真正オサと多条オサの2群にグルーピングする必要はなさそう、とのこと。また、いわゆるトゲオサ群は多系統群である可能性が高い、という(Imura et al., 1998:EL 26: 17-35)。また、オーストラリアオサとチリオサは姉妹群で、オサ+カタビロ族とは離れた位置にあるという(おニ (13): 2-4)。
 生命誌研究館スタッフによるオサムシの分子系統学的研究成果中の白眉である、オオオサ亜属Ohomopterusにおけるタイプ・スイッチング仮説はその後も大いに論議を呼んでおり、同仮説に対する反論もかなり強力に主張されるようになってきた。昨年の日本昆虫学会(滋賀県立大で開催)の甲虫類小集会(鞘翅学会・甲虫学会共催)では、テーマをこの一点に絞り、さながらオオオサのシンポジウムの様相を呈した。都立大の高見泰興氏は分子系統樹の比較に耐えうる形態系統樹の再構成を目指した(昆58会:139)。東大の久保田耕平氏は、この群では近縁な種同士が側所的に分布する場合の交尾行動、雑種個体が生まれる割合、両種の遺伝子交流の可能性などを調査した結果を報告した(同:139)。信州大から京大へ移った曽田貞慈氏は、生命誌館が使ったミトコンドリアDNAではなく、核DNAを使って解析を行い、形態種と多くの部分で一致したことを報じた(同:140)。そして生命誌館の研究結果はミトコンドリアDNAの集団内多型に由来するものである可能性を示唆した。曽田氏の研究結果はタイプ・スイッチング仮説に真っ向から反論したものであり、この集会に居合わせた多くの形態種の支持者は大変に意を強くしたようである。しかしながら曽田氏の結果は、進化速度の遅い核DNAを用いたものだけにブーツストラップ値が低く、信頼性に乏しいとの再反論もある。いずれにしてもこの論争は10年はかかるものであろうし、またそれだけ議論する価値のあるテーマであり、目が離せない。
 オサムシに端を発した甲虫分子系統学はいずれ他の群にも波及して、今後の系統学の主流となるであろうことは自明であるが、Imura et al.(1998)や高見氏の成果を見るにつけ、詳細な形態比較が本当は必要なのだと再認識せざるを得ない。系統解析は分子に譲っても我々が進化という現象を認識するのは形態によってであり、形態こそが分子や系統によって説明されるべき対象物なのだ。だから形態の研究結果は決して他の軽々しい理論や数式のように時代の流れの中に葬り去られることはない。形態学を志すものは自信を持って我が道を行けばよいのである。

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