ハネカクシ談話会写真集15
―第20回国際ハネカクシ学会議スペシャル2―
Photo Album of the Staphylinidological Society of Japan, No. 15
(special version II on the 20th Meeting on Staphylinidae held in Berlin, 5-8th May 2005)


=SORRY! JAPANESE ONLY=



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2005年ベルリン第20回ハネカクシ会議報告(続き)

5月7日 天気曇り時々晴れ、後雨

 5時半ごろ目覚めた。9時に博物館正面に集合。大型の貸切バスが来ていて、なにやら標本なども積み込み、全員が乗り込んで出発。郊外に出るとカラシナの花が丘一面に咲き誇っていて綺麗。風力発電もやっていた。



 小一時間ほどで、DEIにつく。新しいが殺風景な建物で、入り口にはKraatzの肖像が掲げられていた。私は早速三階の収蔵庫へ案内され、標本を見せてもらう。と、いきなりありました、SchaufussとRaffrayのコレクションが。こりゃあ大変、大仕事になるぞ。タイの標本や台湾のタイプもばっちり。ところが途中で、使っていた左側のランプが光っていないことに気がついて愕然!フィルムカメラってこういうときに一番弱い。しかたなく、各種一枚にして最初から撮り直す。これでフィルムの約3本分がパアである。お昼になって、皆さん食事をとり、採集に行きたい人たちはバスで近くの自然公園へ出発した。私も採集には行きたかったが、この宝の山を目にしてしまったからには仕方がない。



気を取り直して、作業を進めていくと、なんとか追いついて最後までいけそうな感じになった。ReichenbachiaやBryaxisを多少はしょったかもしれない。最後のあたりで、台湾産のタイプが多数出てきたので、台湾の種はほとんど解明された。



 ニュージーランドの材料を見たかったがここで時間切れ、荷物をまとめて、下へ降りた。しばらくほかの何人かとだべりながらバスを待つ。Schillhammerさんと、日本人研究者の噂話になり、彼の評価はかなり厳しいようだった。ほかの人からも日本人研究者のいろいろな点について聞かれたが、異口同音にコンタクトの難しさ、材料の貸し借りのしにくさについて、口をそろえて嘆いていた。耳の痛い話だ。



 バスが来て、帰路に着く。一帯はすっかり雨模様となり、採集の人々も意気が上がらない。だんだんと町に入っていき、見覚えのある通りに出たかと思うとまもなく博物館の前に到着。降りてすぐZercheさんに月曜日再度訪問したい旨を伝え、電車バスでの行き方を教えてもらうことにした。でも無事にたどり着けるかどうか心配。

 トルコ料理店(?)のDariaに集まり会食が始まる。Newton夫妻に中国やインドシナでProtopselaphusを発見したことを話し、電顕で見たい旨を話すと、大いに同意してくれ、この群は君に任せるよ、みたいな話になった。大きな音楽がなって、着飾った踊り子が席へとやってきた。みんな大喜びで、踊り子に誘われるままに一緒に踊っている人もいる。腹の出たオヤジ連中は大喜びだったが、若いDaveやAssingさんは、露出の多い踊り子に誘われて困っていた。

 踊りと音楽が終わるのを見計らって、Peckさんに自己紹介しに行く。日本へは81年の昆虫学会議以来行ってないようで、日本の状況もあまり知らないようだった。Jarmilaさんにも紹介してもらう。席に戻り、Melaniaさんやフランスの昆虫カメラマンTronque夫妻としばし懇談。その後Daveが加わり、かなり盛り上がった。Tronque夫妻はパリから引っ越して南フランスに住んでいるそうだ。奥さんに言わせるとアジアなんて“他の惑星”だそうである。まあそうだろね。夫妻は先に帰り、10時ごろ3人でゲストハウスへ帰った。




5月8日(日曜日) 天気曇り時々晴れ、後雨

 時折晴れ間もさすがすっきりしない天気。博物館の前でPeck夫妻に出会う。今日は博物館へは行かず、観光するという。博物館では、すでにRuzickaさんやSchilhammerさんが仕事していた。早速机をもらってタイプの撮影開始。しかし数がそれほどないので、あまり急ぐ必要はない。問題のWeiseのタイプ(下図)は撮影もしたが、やはり種名の違う2種は借りていくことにした。




 快調にはかどり、もう少しというところで昼飯ブレイク。今日は中華料理店に行くという。博物館前の交差点から北へ少し入った「東東飯店」というレストランだった。皆が中華のメニューに四苦八苦する中、易々と「海鮮炒麺」と支那茶を注文した。料理はまあまあだったが、メニューに苦労しないってのは楽だ。博物館へ戻って、小一時間作業してここでの仕事は完了。

時間が余ったので、シデムシのタイプを見ようとしたが、ほとんどのタイプはD. Sikesに借りられてしまっていた。クロシデで、これかもという個体があり写真も撮ったが、どうやらそれではなかったらしい。居合わせたRuzickaさん、Schillhammerさん、Gusalov君に別れを告げて博物館を出る。今回大変お世話になったFrischさんともここでお別れとなった。彼は仕事の緻密さと人格的なこまやかな心遣いが見事に一致した、すばらしい人である。ご好意と完璧な対応に感謝。わずかの時間で博物館の展示をかけあしで見学させてもらった



この日は日曜日で、ウンター・デン・リンデンまで出たが、店やレストランのほとんどが閉店。駅のマーケットでワイン、チーズ、ハムを買い出し、宿へ戻って一人ホームパーティー。



5月9日 天気曇り時々晴れ、時々雨

 朝ばらばらと大粒の雨、こりゃ弱ったねと思いつつ、駅へ急ぐと、駅の手前で傘がぶっ壊れた。情けないヤツだ。Sバーンの入り口へ行くが、チケットの販売機がわからない。ホームへ出てみるとありました。タッチパネルでらくらく購入、ABエリアで2ユーロ。刻印もその場でOK。S5番のStrausberg-Nord行きに乗り込むと、中は意外に空いている。郊外へ向かう雰囲気がして、しばらくするとLichtenbergについた。ホームがわからなかったので、地下道に張り出してある時刻表を見て、Muncheberg方面行きの時間とホームを確認。もう来ていた列車に乗り込んで、運転手に聞いて車内の自販機で切符を購入。ともかく無事にMunchebergへ向かう。途中で、おととい見た風力発電の風車群が見え、正しい方向へ来ていることがわかって安心。40分ほどでMunchebergへ到着。




駅前は何もない木立の中の広場で、バスが1台停まっており、たくさんの働き盛りの人たちが乗り込んでいた。運転手に「ZALFへ行くのはこれでいいか?」と尋ね、OKということだったので90セント払い乗り込む。すぐにZALFの門の前に到着。Zercheさんはお昼まで会議とのことだったので他の人を呼び出して入れてもらった。収蔵庫へ通してもらい、仕事を始めたのが9時半。午前中で、前回撮りもらしたタイプを撮影、お昼過ぎ、そろそろランチにしようかと片付けていたところへZercheさんやってきた。4Fの会議室でコーヒーを入れてもらい、ランチを食べながらいろいろ話す。Weiseは学校の先生で、博物館の職員であるKraatzは彼をいろいろな面でサポートしていたが、その見返りにWeiseがハネカクシやアリヅカに興味を失って、テントウやハムシに転向した際に、彼のハネ標本はごっそりKraatzのコレクションに収められたという。また、DEIの建物は去年完成し、去年のハネ会議の時にはEversvaldeからの引越しの最中でいけなかったとのこと。それで丸山君もこれなかったんだ、といって笑っていた。



 仕事再開。ニュージーランドのタイプは一箱にまとめてあり、便利、ほぼすべてがBrounのタイプ。ほかの箱もざっと見渡してNZの種を拾う。地域ごとに、アジアは黄色、オーストラリア。ニュージーランドは紫と色分けしてあるので、すぐに見つかって非常に楽だ。NZを片付けて、今度はClavigeritaeの標本(タイプはほとんどないがWasmannの材料がある)を属ごとに撮影。最後にBatrisocenusをもう一度おさらいし、撮影していなかった種の撮影を行う。4時近くなり、やっと今回の仕事すべてを終了。Zercheさんの部屋へ行ってお礼を言い、DEIを辞することにする。 



 ZALFの門を出て、バス停へ。次のバスまで15分ほどあったが、待つ。乗るときに運転手と押し問答して、バスの中でLichtenbergまでの切符が買えるということがわかった。なんと便利な。ここでもほぼ10分ほどで列車が来た。今日はついてる。小雨の中、宿へ到着6時半。受付へ言付けられた荷物(Weiseのタイプ)を受け取り、荷物を置いて、再度通りへ出る。今日は店が皆あいており、日曜とえらく違った華やかな雰囲気だ。駅の中のアジア料理屋でタイカレーがおいしそうだったので入って注文。チキンがふんだんでとても美味かった。



5月10日 天気曇り時々雨

 朝は曇り空。ゆっくり寝ててもよかったが、どうしても5時台に目がさめてしまう。相変わらず天気が悪い。あまり影響はなかったが、今回天気に関してははずれを引いたようだ。飲料水が切れたので、8時ごろ買い物に出る。SPARで水と野菜ジュースを買って戻る。えらく寒くて、ジャケットを着てても震えるほどだ。残りのパンとハム、チーズで朝食。9時半、全てを取りまとめて部屋を出る。入ったときと同じおばちゃんに鍵を返し、部屋代を払う。

タクシーを呼んでもらい空港へ。コペンハーゲン行きは来た時よりもさらに小さいプロペラ機で、やっぱり耳が痛くなった。コペンハーゲンでは取り立てて変わったこともなく、日本人ばかりの乗客に紛れて、定刻出発。ベルリンへはまたいつか来なければならないだろう。今回は何かと慌しかったような気がする。今度はもっとじっくりと楽しむだけの余裕をもってやって来たいものだ。<終わり>




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