ハネカクシ談話会写真集14
―第20回国際ハネカクシ学会議スペシャル1―
Photo Album of the Staphylinidological Society of Japan, No. 15
(special version I on the 20th Meeting on Staphylinidae held in Berlin, 5-8th May 2005)


=SORRY! JAPANESE ONLY=



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2005年ベルリン第20回ハネカクシ会議報告

 野村は2005年5月5〜8日にベルリンのフンボルト大学自然史博物館で開催された第20回国際ハネカクシ会議に出席し、一般講演も行いました。また、同博物館およびドイツ昆虫学研究所(DEI:Deutsche Entomologische Institut)所蔵のタイプ標本などを検討することが出来、多大な収穫を得ました。会期は8日まででしたが、1日DEIでの作業を延長して、10〜11日帰国しました。ここではその全貌を日記と写真で紹介します。



5月4日(水曜) 天気曇り時々晴れ

 早朝から成田空港へ行き、もろもろの物資を買い出し、両替を済ませ、チェックイン。ゲートでしばらく待った後、ほぼ定刻に出発。昨年からは考えられないスムーズさ。12時間の辛抱に堪えた後、定刻よりも早くにコペンハーゲンに着く。コペンハーゲンは寒い雨。ここからベルリンへの便はやたらと小さな小型機で機内サービスは無し。定刻テーゲルにつく。着いた時の印象ではやけに小さな空港のように見えた。

早速タクシーを雇ってゲストハウスへ直行。30分くらいで16EUR。なんだ、安いじゃん。ゲストハウスのおばちゃんに鍵をもらって部屋へ。ところが、鍵が開かない。四苦八苦して開かないので、おばちゃんに聞きに行くと、見覚えのある来客がチェックインしていた。オーストリーのSchatz夫妻。Schatzさんに鍵の開け方を教わって、やっと入室。2室でトイレと洗面所を共有するつくりになっているが、相部屋はいない。とりあえず夕食を食いに出る。表通りに出るといろんなレストランやピザ屋などがあるが、なかなかよさげな店に入れない。Sparがあったので、水とパン、サラミを買い出し、朝食にすることにした。ワインの小瓶も一本。道端のImbissでDonerてやつを購入、ビールとともに食す。えらい安く済んだからこれでよかったかも。


5月5日 天気曇り

 時差ボケでやたら早く(4時)目がさめる。10時前出発、自然史博物館へ。博物館は四角い大きな建物で、高さはロンドンほどではないが、重厚で古めかしいものだ。入り口でPaul Wundaleさんと会い、一緒に会場を探すが、中の職員の人もよく知らないようで、迷いに迷う。そのうちWundaleさんは奥さんを迎えに行ってしまい、私は受付のところに取り残された。受付のおばちゃんが連絡を取ってくれ、しばらくして、Frischさんが来る。



昆虫の部屋は建物の後ろ側で、Frischさんに案内され、中の展示を通って収蔵庫へ。すでに何人かの人が来て、標本を見ていた。Schuelkeさんがいたので挨拶し、標本を返す。博物館の助手の人を紹介してもらい、標本を見始める。まず、Weiseのタイプを出してもらった。すると何とBryaxisのほうは、種名が間違っている。“seriatus”となっていた。これらをチェックした後、Batrisus antennatusを探すが、なかなか見つからない。探す途中で、まったく未ソートのRaffrayの台湾の材料を発見したが、これはどうもDEIのリストに出ている材料ではないようだ。やはり本物はDEIにあるのだろう。ラベルがいろいろなので、その写真を撮る。

Weiseの箱に日本のBatrisopllisusがあり、これがantennatusと思われた。しかし種名ラベルが違っている。“Batrisus auriculatus”となっていた。原記載をあたると、触角がauriculateであるという記述があった。これもひょっとして種名が原記載と違っているのではないか? このことがおそらく、以降の研究者がまったく発見できなかった理由だろう。この時代の標本にはしばしば誤同定があり、対馬のペタロ(Carl Ruttによる)なんかもあったが、Batrisus stipes Sharpと同定されていた。

 人が多くなってきた。一度食事のため外に出る。カザフスタンのKascheefさんと話しながら歩いていたので気がつかなかったが、一緒に出た小柄の夫婦が、A. F. NewtonさんとM. Thayerさんだった。後で挨拶する。



 博物館へ戻り、標本の続きを見ようとするが、話のほうが忙しくなる。Jan Ruzickaにも会い、Hlavacへのお金をわたした。持ってきたDiamesusを見せると、「本当にこれはoscilansだ。ふしぎなことだ」といっていた。Besuchetさんも来てGeneveの後で送った標本などを返してもらった。日本には10種以上のBibloporusと5種ほどのRamussiaがいると話していた。Loeblさんはカタログつくりで超多忙のようだ。MoranaのRevisionは中断しているとのこと。





 やがて、夕食の時間になって、皆で外に出る。昼と同じ店で、ビールで乾杯。正面に座ったDave Clerkeは、ますますDaveになっていた。Newtonさんが菅谷君のことなどを話した。かなり印象が強かったようだ。アメリカには若いアリヅカの研究者がいないと嘆いていた。途中で、Schilhammerさんが到着したが、このころから時差ぼけによる睡魔がたびたび襲ってきたため、9時半ごろ店を辞する。



5月6日 天気曇り時々雨

 朝から雨。頭が重くて痛い。咳と痰もおさまらず、最悪のコンディション。博物館への途中朝飯を食おうとマクドに立ち寄るがまだ開店前。少し先のパン屋でサンドイッチを仕入れ、そこで食べることができたので人心地つけた。からだが熱っぽく頭痛も収まらず。必死にこらえつつ博物館へ。博物館の正面から入り会場へ。会場は小ぢんまりした小さな講義室。廊下にポスター発表のためのついたてが用意されていた。



 Frischさんの開会の言葉があって、その後館長(?)の挨拶(結構長かった)。それから一般講演に入る。  のっけはJ. A. Acheさんの講演。12S, 16S, 18S rDNAを使ったAleocharine群の系統解析で、preliminaryとはいえ、重要な内容。



 2番手はU. Irmlerさん。かなり寝てたので、内容はよく聞いてませんすみません。

 3番目はマックンことGeorgy Macranczyさんのセスジの系統の話であった。Anotyrus属群はたびたび属を分割して新属を設立したため、残された本家がPalaphyleticになっており、属の定義を広く取るか、狭く取って細分するかの選択を迫られているという。ハネではよくある話だ。



 Gildenkov氏のOxyterinaeのgeneric revisionは、話が広すぎるのと、属の羅列で終わったので、言わんとするところがよくわからなかった。

 ここで講義室を出たところのロビーを使ってコーヒーブレーク。フランスのTronqueさんが展示ケースをうまく利用して、自作の写真(デジタル合成)を展示していた。なかなかの出来。再開後のMargaret小母さんの南半球のヨツメの話も面白かった。南米南端、南アフリカ、豪州、NZのハネの分布を調べ上げ、分布パターンに分けて、比較しあうものだ。




 次のZercheさんの講演はAssingさんが英語に通訳して行われた。春季雪渓のふちで採集されるOphthalmoniphetodesという属の話で、雪をショベルで掻き分け、その下の土を振るって採集するという。産地はブルガリア高地で、標高1,500-2,000超。一箇所で複数の種が採れる場所もあるという。雪渓の下面にあがってくる線虫やトビムシを食っているらしい。



 Gusalov君の講演は“Fooling with Lee’s Catalogue”(ハーマン・カタログで遊ぶ)というようなふざけた話で、ヨーロッパにおける種数の積算数とか、シノニムを除いた有効種数のグラフを示して、それらしくしようとしていたが、本人がはじめからそんな感じなので、これはまあ頭の体操程度のことか。周りも皆“しょうがねえなあ”みたいな感じでゲラゲラ笑いながら見ていたようだ。

 そんなプレゼンのあとで、野村の重厚なPseudophaniasの話が。正直言って重い頭で、ちゃんと台本どおり読むのですらいっぱいいっぱいだったので、反応どうだったか、さてさて。あとで、Besuchetさんがやってきて、「いややはりPseudophaniasはTmesiphoriniだと思う」とのコメントがあったが、これは想定内というところかな。



 ランチはロビーでサンドイッチ。わざわざ私に会いに来てくれたというRolf Beutelさんとしばし話し込む。ドイツでもやはり補助金がなかなか取れない、国が支援してくれない、というのが大きな問題で、甲虫の分類が抱えている問題は世界共通のようだ。



 今回、15題の一般講演が行われた他に、講義室を出たロビーにパネルが数枚設けられ、以下に示すようなポスター発表があった(予定分は5題)。カザフのKastcheevさんも3つのポスターを飛び入り参加させていた。




 Bohac氏はプラハ近郊におけるハネ類の衰亡について話された。アリヅカ結構好きみたいで、Claviger testaceusやBatrisus formicariusなど、随所にアリヅカの写真が入っている。Centrotomaが最近見られない種の代表として入っていた。80種ものハネカクシがプラハ近郊で消滅したらしい。



 シベリアのBabenko氏は植生の違いによるハネ類の個体群動態について話した。ハネカクシが多数採集される時期は春の越冬からさめる時期から始まり、年間3回あるという。活動期は種によって異なり、冬に活発な種も8種ほど見出された。これらは摂氏2度とか0.8度とかで活動する。



 ルーマニアのStanさんはダニューブ川氾濫原のハネカクシについて話した。氾濫原のハネカクシは最近のホットスポットのようで、ほかの何人かも話している。声が小さく早口なのでよく聞き取れなかったが、氾濫原にもさまざまな環境があり、それぞれに生息する種が異なる、といった内容だったと思う。



 ベラルーシのDerunkovさんはやはり、ベレズィナ川氾濫原のハネカクシを調べた。属単位で、種数が多かったのは、Stenus, Philonthus, Athetaなど。個体数が多かったのは、中流域ではZyras, Tachinusで、Stenusは種類は多いが個体数が少ない。下流で多かったのはAleocharaの一種で、これがダントツに大きな割合を占めていた。

 英国のDerek Lott氏は米国フロリダのキャサリン島で、ワニのいる氾濫原のハネ相について調べた。この氾濫原では地形との関係によって、人間、ワニ、川の氾濫によるかく乱が場所により異なる程度で起こっている。ハネカクシは種によって好みの環境が異なり、ワニによってかく乱された環境に特異的な種もいるらしい。



 シュツットガルトのKarin Wolf-Schweningerさんは、バーデン=ヴュルテンベルク地域のハネカクシ相について語った。ここはドイツのちょうど10分の一にあたる面積を占めるエリアで、そこにドイツ全体の約70%にあたる1061種が発見されたという。

 Kleebeckさんは、痩せ型のヒゲのおじさんで、ウィーンのSchatzさんと風貌が似てて紛らわしい。ドイツで最近減少しているDianousのある種について分布、生息環境を調べた。この種は、渓流に沿った古い水門や水道施設の周辺で見つかり、特にWater-millという木製の構造物に見られるらしい。いわゆる硬水を好み、CaO濃度の低い停留水には棲まないようだ。記録のある地点のうち、78,9%の地点で消滅しているとのこと。



 トリをとったのはカザフスタンからやってきたKastcheevさんだ。この人は九大昆虫と共同研究している人で、日本に来たこともあり、紙谷君や幾留さんとも仲良しだ。カザフのハネ相について、環境と種構成をひたすら示された。特に注目されたのはズンガリア高地の川に沿ったさまざまな環境で、ハネ相が多様に変化していることであろうか。



 講演の後、次回の会議のアナウンスがなされた。次回はチェコのとある田舎町で行われ、Bohac氏が主にお世話されるとのこと。但しその場所はプラハからでは交通の便が悪く、ウィーンからの乗り入れが便利とのことで、ウィーンのSchillhammerさんらも手伝う、という体制らしい。ということでめでたく閉会と相なった。

 博物館の正面玄関へ出て記念撮影。そのあと、三々五々宿の近くなどで食事ということになった。我々ゲストハウス組は交差点近くのパブで食事。Assingさんや、Cuccodoroさんとしゃべりつつ会食。9時くらいに帰宿。





 ハネカクシ談話会写真集15へ続く


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