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関谷清景(せきや せいけい、1854年(安政元年)〜1896年(明治29年)) 

ミルン、ユーイングらにより日本で始まった地震の研究を受けつぎ、わが国に地震学を定着させました。1886(明治19)年に東京大学(帝国大学)で世界初の地震を専門とする教授となりましたが、健康に恵まれず41歳で没しました。全国の地震観測業務をとりしきる役職も兼ねて、各地に地震計の設置を進め、日本独自の4階級の震度階(現在は10階級)をつくりました。在任中に起きた磐梯山噴火(1888年)と熊本地震(1889年)の調査には病を押して駆けつけましたが、出身地の大垣にも被害をもたらした1891年の濃尾地震の調査に立つことはできませんでした。しかし、これを契機として発足した震災予防調査会の立ち上げに力を尽くしています。関谷のあと、その教授の席は一時田中館愛橘が受持ち、ついで大森式地震計や大森公式で名高い大森房吉が座ることになります。