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日本の科学者技術者展シリーズ 第9回 企画展「化学者展」
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日本のノーベル化学賞受賞者は、1981年に福井謙一博士が初めて受賞してから昨2010年の鈴木章・根岸英一両博士まで7名に上ります。しかも2000年以降の受賞者が6名で、日本の化学研究および化学工業は、今では世界トップクラスと言えます。幕末のころに西洋の化学を取り入れ始め、明治30〜40年には世界一流の化学研究がされるようになっています。日本の化学研究の本格的な開花は第2次世界大戦後になりますが、このように急速に進歩した背景には、先人たちのたゆまぬ努力がありました。本企画展では、明治から昭和初期にかけて日本の近代化学、さらに日本の学術研究体制を築き上げた4人の化学者の軌跡をたどります。

日本の近代化学のスタート
舎密開宗
舎密開宗
日本で西洋の化学が初めて体系的に紹介されたのは、宇田川榕菴(1798−1846)が著した化学書『舎密開宗』(1837−1847)です。オランダ語の”chemie”を音訳して「舎密(せいみ)」としました。「化学」という用語が書籍で初めて使われたのは、川本幸民(1810−1871)の『化学新書』(1861)です。

桜井錠二(1858−1939)
金メダル
18才でロンドン大学に留学した最初の年に化学の学年末試験で受賞した金メダル
24才で日本人二人目の化学の大学教授となり、基礎科学研究を重んじ、それが国の発展につながるとしました。理化学研究所や学術振興会などの設立に貢献し、日本の学術研究体制を築きました。
池田菊苗(1864−1936)
具留多味酸
池田菊苗が最初に抽出した
グルタミン酸試料「具留多味酸」
(写真提供:味の素株式会社)
物理化学が専門ですが、実用面では、昆布のうま味成分がグルタミン酸であることをつきとめ、新しい味覚として「うま味」を提唱しました。「UMAMI」は今や世界に通じる共通語です。
鈴木梅太郎(1874−1943)
米糖の成分
鈴木梅太郎研究室で抽出・分離された「米糠の成分」標本
脚気の研究から、米糠には微量でも生命に必要な物質があることを発見し、「オリザニン」(現在のビタミンB1)と名付けました。これは、事実上世界で最初のビタミン発見と言えます。
真島利行(1874−1962)
オゾン発生装置
ウルシオールの構造を決める際に真島利行が実際に使用したオゾン発生装置(所蔵及び©:大阪大学総合学術博物館)
日本特産の漆の研究に取り組み、その主成分であるウルシオールの構造解析および合成をしました。また、常に研究を重視し、多くの化学者を育て、日本の有機化学研究を世界一流に育て上げました。


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