アメリカ,NASAに行ってきました!宇宙飛行士訓練施設見学レポート
NASAとアメリカの宇宙開発
2010年1月,筆者は全国科学博物館協議会海外科学系博物館視察研修の一環としてアメリカ・NASAジョンソン宇宙センターを訪問しました。
今回のホットニュースではアメリカの宇宙開発の歴史・最新事情と合わせて,宇宙飛行士の訓練や地上からの飛行管制など,安全な宇宙飛行のための体制と設備についてお伝えします。
アメリカ航空宇宙局,NASAは,アメリカ合衆国の宇宙開発,宇宙探査を担う連邦機関です。1958年,当時のアイゼンハワー大統領により設立されました。
折りしも東西冷戦の時代。アメリカと当時のソビエト連邦(1991年の連邦解体までの国名についてはソ連と表記します)の宇宙開発競争が熾烈さを増していました。
1957年10月,ソ連は世界初となる人工衛星『スプートニク1号』の打ち上げに成功。宇宙開発技術,当時の目的から言えばミサイル技術に於いても,世界をリードしていると自認していたアメリカに大きなショックを与えました(※1)。技術競争に敗北しただけでなく,悪くすれば対抗策のないまま,ソ連のミサイル攻撃を受けることになるかも知れないという不安に晒されることになったのです。
このいわゆる『スプートニク・ショック』が,NASA設立のきっかけのひとつとなったと言われています。それまで約40年に渡って飛行技術の研究を行って来た国家航空諮問委員会(NACA)を母体に,関連する複数の組織・機関を統合,或いはそれらとの協力によって,国を挙げての宇宙開発体制が敷かれることとなりました。
それ以降,人類初の宇宙飛行や宇宙遊泳など,ソ連に1歩を譲った部分も少なくはありませんでしたが,NASAはアメリカの,ひいては人類全体の宇宙進出のシンボルのひとつとして多くの業績を残して来ました。
1969年,アポロ11号が月面に着陸。その後13号を除く17号までの6回の着陸で,合計12名の宇宙飛行士が月に降り立ち,月の石の採取や地質学的調査を行いました。アポロ計画は2010年現在に到るまで,人類が地球以外の別の天体に到達した唯一のプロジェクトです。
ジョンソン宇宙センターは1961年,テキサス州ヒューストンに設立されました(命名は1973年,ジョンソン元大統領の死去に伴ってのものです)。NASAの有人宇宙船に搭乗する全ての宇宙飛行士の訓練を行っている他,打ち上げ時を除くスペースシャトルの飛行管制,国際宇宙ステーションの管制,月の石を初め宇宙から持ち帰ったサンプルの保管などを担当しています。アポロ11号や,スペースシャトル第1号となったコロンビアの管制が行われたことでも知られます。
現地に勤務する職員数は1万人以上,内およそ3千人は連邦政府に所属しますが,残りは国と契約を結んだ企業などから派遣されています。
敷地面積は約6.5平方キロメートル。自然保護区の一部ともなっており,筆者は見つけられませんでしたが,運が良ければ野生のシカやウサギなどを見ることができます。関連する複数の建物が敷地内に点在する様子はひとつの街のようでもあります。
この『街』の南西には宇宙センターのビジターセンターとしての役割を果たすスペースセンター・ヒューストンが隣接されており,アポロ計画やスペースシャトルに関連する展示や,NASAの歴史を伝える映像を楽しむことができます。また,NASAの実際の施設に向かう見学ツアーも行われており,今回ご紹介する施設の一部もコースに含まれています。
※1 アメリカは同年12月,当時人工衛星の中心を担っていた海軍がヴァンガード・ロケットによる衛星打ち上げを試みましたが,打ち上げ直後に爆発して失敗。翌1958年1月31日,陸軍の弾道ミサイル局がカリフォルニア工科大学のジェット推進研究所の製作によるエクスプローラー1号を打ち上げて成功しました。
備考:特に断りのない場合,NASAの各施設の訳名はJAXAホームページ内で使用されている日本語名称に従っています。
写真:アポロ11号の司令船
(実物。ヒューストンではなくワシントンD.C.のスミソニアン航空宇宙博物館に展示されています)