私たち人類はサルの仲間の一員である。サルのうち、とくに人類に近縁なのが、チンパンジーやゴリラなどの類人猿である。人類が、類人猿の祖先たちから分かれてどのように進化してきたかは、顔がどう変わってきたのかを見るとよくわかる。そこで、類人猿の代表として雄ゴリラ、そして人類の代表として80万年前の男性ピテカントロプスを選んで、顔を比較してみよう。人類の代表として現代人を使わないのは、現代人は文化・技術の異常な発達によってかなり非人類的(非人間的ではない)になっているからである。

マウンテンゴリラ
(イラスト・石井礼子)

ピテカントロプス
復顔想像図
(イラスト・石井礼子)

 咀嚼器官の退化

 ゴリラの顔と頭は大きい。それは食物を噛むための咀嚼筋が発達しているからである。巨大な頭の大部分は側頭筋という筋肉によって占められている。側頭筋はコメカミ(米を噛む時に動くので)の筋肉であり、頭から始まって下顎骨の筋突起(顎関節の前方の突起)に付き、下顎骨を上後方へ引っぱる。
 側頭筋は、ピテカントロプスでは文字通り側頭部にあるだけだが、ゴリラでは頭全体をおおい、それでも足りなくて、さらに頭の真ん中と後ろにT字型に組み合った骨の隆起(矢状稜と後頭稜)を作り、そこに付いている。ゴリラの側頭筋の体積は片側だけで1リットルはあり、ピテカントロプスの5倍以上も大きい。
 ゴリラの顔を大きく見せているのは、頬の部分の咬筋である。咬筋は、頬骨とその後方の頬骨弓の下から始まって下顎骨の下顎角(いわゆるエラの部分)に付き、下顎骨を上前方に引っぱる。この咬筋もゴリラではピテカントロプスよりはるかに大きい。つまり、ゴリラの咀嚼筋は全体としてピテカントロプスの数倍あり、現代人の10倍以上もある。もちろん、ゴリラの雄は体重が200キログラムもあるので、咀嚼筋の大きさも割り引かなければならないが、それにしても強力である。

マウンテンゴリラ
筋肉復元
(制作:矢沢造形)

ピテカントロプス
筋肉復元
(制作:矢沢造形)

 ゴリラの口は前に出っぱっていて、犬歯が発達している。大きな犬歯は、硬い木の実を割る時にも役立つが、敵を威すときに大いに役立つ。殺すための武器ではないことは、ライオンの犬歯と比べるとわかる。ライオンの犬歯は歯根が歯冠より2倍も長く頑丈で、いかにもプロの殺し屋の道具だが、ゴリラの犬歯は歯根が小さく見かけほど頑丈ではない。
 ピテカントロプスの口は現代人よりは少し出っぱっているが、犬歯がとくに大きくはない。つまり、石で木の実を割り、棍棒で敵を威すようになって、犬歯は退化したのである。