戦後、欧米車と競合しない小型自動車の製造に進出することを決めたトヨタ自動車は、顧問に就任したもと東京帝国大学助教授、隈部一雄氏の指揮で昭和22(1947)年に1,000ccの2ドア、4輪独立懸架のSA型小型乗用車を完成させました。発売にあたって、愛称が公募されトヨペットと決まりました。SA型は215台で生産を中止しましたが、この経験が後のトヨペット・クラウン等につながってゆきました。