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DNAで探る私たちの起源(分子人類学)

篠田 謙一
私たちの体の設計図であるDNAは、子孫に伝えられていくうちに、突然変異を起こして少しずつ変化していくという性質を持っています。突然変異の起こりやすい部分では、同じ人間同士でもかなり異なっています。この部分に注目すると、私たち人間がどのように世界に広がったのか、日本人に最も似ている集団はどこにいるのか、最初に日本に住み着いた人たちはどこから来たのか、といった疑問に答えることもできます。
  近年の分子生物学の発展によって、DNAの分析は比較的簡単にできるようになりました。私は、この技術を使って、古代人の骨にわずかに残るミトコンドリアのDNAを分析して、日本人の起源や人類の世界拡散の様子を研究しています。
  ミトコンドリアというのは細胞の中でエネルギーを作っている器官ですが、独自のDNAを持っています。このDNAは母親から子供に伝えられるのですが、その変化も非常に早いので、私たち人類の中にも様々なタイプが存在します。ミトコンドリアDNAの解析の結果、現代人の共通祖先は13~17万年前のアフリカの女性に行き着くことが明らかとなっています。私たちの祖先(新人)は10万年よりも新しい時代にアフリカを出て世界中に拡散したと考えられていて、ミトコンドリアDNAは移住の過程で突然変異を繰り返すことによって様々なグループに分かれていきました。それぞれの地域に特徴的なDNAが誕生したのです。
  私の研究は、このDNAを分析することで、遺跡に眠る人々の由来や周辺集団との系統関係、あるいは彼らの血縁関係などについて調べるのが目的です。
南米ペルーのトルヒーヨ大学考古学研究室で、アンデス先住民の人骨を調査しているところ 研究用のサンプルは博物館に収蔵されている人骨や、新たな発掘によって得られたものを使います。DNA分析で得られた情報を正しく解釈するためには、考古学や形質人類学の知識も必要です。ですから研究はチームで行われる事が多いのですが、分野の違う研究者との対話は、研究の新たな可能性や、私たちの知らない思いがけない事実を教えてくれることがあります。それも研究を進めていく上での楽しみのひとつです。

南米ペルーのトルヒーヨ大学考古学研究室で、アンデス先住民の人骨を調査しているところ(1999年)。一緒に調査をしているのは南イリノイ大学の考古学者島田泉教授。私たちはペルー北部に栄えたシカン文明の研究を共同で行っています。
アフリカから世界に広がった人類 アフリカから世界に広がった人類

世界中の地域集団が持つミトコンドリアDNAのグループの間の系統関係を示した図。人類がアフリカから拡散する過程で、突然変異によって地域に特有のグループ誕生していきます。その間の系統関係は、人類がアフリカから拡散した道筋を大まかに示しています。このように各グループを地域集団ごとに色分けすると、系統がおおむね地理的な関係を保っていることが分かります。
日本の現代人集団と縄文・弥生人の比較 左図は、現代日本人と縄文人、弥生人のミトコンドリアDNAのグループ頻度を比較したものです。DやGといったグループが縄文人にはあまり無いのに、渡来系の弥生人には多いことが分かります。私たち本土の日本人は、弥生人に近いですが、両者のあいだの値を取っています。このことから、私たちは縄文時代に日本列島に住んでいた人たちと、弥生時代になって大陸から渡来した人たちが混血して成立したということが予想されます。実は縄文人と弥生人はずいぶん姿形が違うので、人骨の研究者も日本人の形成に関しては以前から同じ事を考えていました。遺伝子の分析でもそのことが証明されたのです。
ベトナムでの発掘風景 ベトナムでの発掘風景

分析用のサンプルを得るために、考古学者や形質人類学者と共同で発掘を行っています。写真は、ベトナムの首都ハノイから南に120kmほどいったところにある、今から3千年ほど前の遺跡で発掘を行っているところです。日本人の起源の問題は、周辺の地域も調べなければ分からないので、最近では広くアジアの各地で発掘を行っています。
沖縄での発掘 沖縄での発掘

沖縄は、本土の日本とは異なる歴史を持っています。平安時代相当期まで縄文的な生活が続き(貝塚時代)その後中世になって城(グスク)が築かれます。最近では、沖縄の歴史を再現するために、各時代の人骨の調査を進めています。
展示ポスターはこちらから
篠田 謙一(しのだ けんいち)

篠田 謙一(しのだ けんいち)

人類史研究グループ

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