ハネカクシ談話会ニュース No. 8
The Newsletter of the Staphylinidological Society of Japan, No. 8

1999年5月25日発行
The Newsletter of the Staphylinidological Society of Japan
ハネカクシ談話会ニュース No. 8
    
1.事務局からの連絡
平成11年もすでに5月となり,ただ今採集シーズンの真っ只中です.ご会員の皆様は,採集に調査に,御活躍のこととお察し申し上げます.それでは,ハネカクシ談話会ニュース第8号を,お届け致します.
(1).会員の岸本年郎さんが,今年日本産Gyrophaenina亜族(ヒゲブトハネカクシ亜科)の分類学的研究で,東京農業大学から学位を取得されました.おめでとうございます.ヒゲブトハネカクシ亜科といえば,国内ではこれまで会員の沢田高平博士が,御研究を続けて来られました.とは言うものの,やはりその亜科の名前を聞くだけで「小生にとっては,名前をつけるのはお手上げ」というパラフレーズが浮かんでくるくらい,分類が困難なハネカクシでした.しかし,20世紀が終わろうとしているこの頃になって,日本のヒゲブトハネカクシ亜科ハネカクシの分類にも,さらなる光が当てられようとしています.岸本博士の今後の御研究の発展を心からお祈り致します.なお,後にご連絡しますように,岸本さんの御研究の成果は,7月25日に開催される平成11年度の第4回例会にて,発表して頂く予定です.
(2).ドイツのシュリッツ在住のVolker Puthz博士が,7月4日〜8月10日まで,来日されます.Puthz博士については,後で「ハネカクシ研究家の横顔」で詳しく触れたいと思います.彼にも,7月25日に開催される第4回例会にて,発表して頂く予定です.
(3).アメリカのカンサス大学において,J. S. Ashe博士のもとで,ヒゲブトハネカクシ亜科ハネカクシの系統学,分類学の研究をされ,学位取得後,近年韓国に帰国されたKee-Jeong Ahn博士(Chungnam大学)が,8月16日〜8月31日に来日されます.彼が千葉にいる間に,奥鬼怒か日光かに,Ahnさんといっしょにハネカクシ等の採集へ行きたいと思います(今年度のハネカクシ談話会が主催する採集会とは別の採集旅行)ので,もし,御興味がある方は,事前に事務局までご連絡下さい.
(4).ハネカクシ談話会関西支部活動のご連絡.1999年6月12日(土)・13日(日)に,採集会が,京都芦生原生林にて行われる予定です.ご参加されたい方は,関西支部事務局の林靖彦さん(p.8)まで,連絡をとってください.
(5).会費納入状況は,第9号のニュースにて詳細にご連絡致しますが,今年度の会費の未納の方は,早めに納入されるようお願い申し上げます.
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2.ハネカクシ談話会第4回例会/懇親会のご案内
例会日時:1999年7月25日(日曜日):午後1時30分〜5時
例会会場:千葉県立中央博物館会議室(入館は業務用入り口からお願いします;地図参照)
中央博への交通:JR千葉東口正面のバス(7番:大学病院行き;川戸行き;矢作台市営住宅行き)に乗り,中央博物館前下車(乗車時間約15分)
例会内容:(1). 事務局からの連絡
(2). 話題提供:Volker Puthz (Schlitz, Germany):メダカハネカクシの研究の現状
(3). 話題提供:岸本年郎(東京農業大学):日本産Gyrophaenina亜族(ヒゲブトハネカクシ亜科)の分類学的研究
(4). 話題提供:柴田泰利 (町田市):ハネカクシについて
(5). 1人1話/自由懇談/情報交換
懇親会:例会に引き続き,午後6時から9時ごろまで千葉市内で,懇親会を行います.
###今回の例会では,Puthzさんの御発表もありますので,会員の皆様におかれましては,ぜひぜひ御参集されますようお願い致します.
例会/懇親会に参加ご希望の会員は,別紙の参加/不参加のいずれかに○をつけて,7月20日までに,事務局までご連絡下さい.
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3.ユーパラルを用いたハネカクシ類の交尾器等の封入と観察

ハネカクシの同定は,外部形態だけではほとんどの属でうまく行かず,雄交尾器やより基方の腹節の中に収められた腹部末端数節の構造などに頼っているのが現状です.しかし,今日の日本では,双眼実体顕微鏡(バイノキュラ)がある程度普及していますので,ハネカクシに興味をもっておられる方であれば,分類学的研究が一定程度以上済んでいて(たとえば,ヨツメハネカクシ亜科),適切な交尾器等の図示がなされている場合,ハネカクシの種を独自に同定をすることが‘ある程度’可能な時代となりました.したがって,現時点におけるハネカクシの同定における最大の問題は,「それでは,どのようにして交尾器を観察するか」という‘技術’にある,ということになるでしょう. ところが,まさにタイムリーにも,当会会員の吉田正隆さんは,「ハネカクシ懇談会ニュースに,交尾器の抜き出し方や保存法などを載せてみてはどうでしょうか?」という御提案を,昨年夏のお手紙のなかでされているのです.事務局としましては,この御提案を取り入れない手はありません.そこで,以下では,欧米の昆虫分類の関係者の間ではすでにお馴染みとなっている‘ユーパラル’という封入剤を用いた交尾器等の封入法と,封入標本の観察・スケッチ法を紹介したいと思います.なお,ユーパラルの封入技術を御教示頂いただいたシュリッツ(ドイツ)のVolker Puthz博士に厚くお礼申し上げます.

(1).封入に必要な材料・用具等
封入剤ユーパラル(euparal):市販のユーパラルは適当な濃さで,希釈せずに封入に直接使用できる.使用前に小さな瓶に2ccほど取り分けて使う.ユーパラルの入った小瓶を封入時に何度も開閉するとアルコール分がとんで濃くなることがある.ユーパラルはアルコールに溶けるので,濃くなったら,無水アルコールを少し加えて薄めるとよい.どの程度の濃さがよいかは,封入標本や封入法によって若干異なると思われるので,各人が最適の濃さを見つけるようにする.
ただし,後で述べるユーパラルによる交尾器の「直接すくい取り」の作業には,市販のユーパラルは少し薄いようである.そこで,この作業には,ユーパラルを入れた小瓶の蓋を空けたまましばらく放置して,やや濃くしたものを用いる.
ユーパラルEuparal購入先:Chroma-Gesellschaft, Schmid GmbH+Co., D-73257 Koengen/N., GERMANY. 値段は購入時の円/ユーロのレートで当然異なってくるが,1瓶(250ml)約6000円であろう.ユーパラルを交尾器封入にかなりの頻度で利用するとしても,もし,ハネカクシのような小型昆虫の交尾器等が封入の対象であるとすれば,1瓶20年ぐらいもつと思われる.封入による利点を考えると,この値段は破格である.
封入作業で用いる用具:マウント用のセルロイド板(概ね5mm×12mmぐらいの大きさ;以下セル板と略),直径3cmぐらいの小型シャーレ3,4個;耳かき棒(ユーパラルを瓶からセル板に移すときに用いる);スポイド;ピンセット;虫ピン;蒸留水;70%アルコール;無水アルコール;KOH5%水溶液;ロ紙等.
交尾器をKOH水溶液から水,水からアルコールに移す用具には,スポイドとピンセットがある.スポイドには交尾器を傷つけずに素早く移すことができるという利点があるが,時に交尾器を見失うことがあるので使用者は注意深く操作するように心がけたい.交尾器を見失ったとき大概それはスポイドの内側に付着しているので,何度も液体を出し入れして液体と共に交尾器を外に出すとよい.ピンセットで交尾器を移す場合も,交尾器がピンセットの内側に張り付いたりするので,スポイドと同様に注意して操作しなければならない.小さな交尾器をピンセットで摘む作業は容易ではないので,スポイドの方がピンセットに比べて明らかに使いやすい.しかし,交尾器をアルコール水溶液から無水アルコールに移して固定するときは,無水アルコールに水分をほとんど混ぜないという点でピンセットの方が優っていると思う.スポイドとピンセットのいずれを用いるかは,対象となる昆虫の交尾器のもろさ,形や大きさだけではなく,研究者の好みとも関係するであろう.好みの方を利用して頂きたい.ただし,いずれを用いる場合でも,KOH水溶液,蒸留水,アルコールのそれぞれに浸された交尾器の処理は,専用のスポイド(あるいはピンセット)で行うようにする.

(2).雄交尾器のユーパラル封入
ユーパラル封入する交尾器を乾燥標本から取り出すために,最初に標本を水あるいはKOH水溶液で煮る.標本の煮沸の仕方には色々あるであろうが,私は次のようにしている.まず,標本と水(あるいはKOH水溶液)の入った短い試験管を小型のビーカーに数本入れて,次にビーカーに水を満たし,そのビーカーを湯沸器の水に漬けて煮沸する. 水で煮る場合,標本を個体ごと試験管等に入れて煮る.煮る時間は,標本の大きさや筋肉の硬化の程度によっても異なるであろうが,2-3mmのハネカクシの場合,水の状態から煮はじめて,沸騰したあと1分ぐらい煮ると十分なようだ.ただし,古い標本では筋肉がもろくなっているので,古い標本を煮る時間は新鮮な標本を煮る時間より短くてよいようだ.古い標本をより慎重に処理するために,標本を水に一晩漬けておくというやり方もある.しかし,私の経験では,短時間の煮沸によって古い標本が痛んだということはない.
5%程度のKOH水溶液の中で標本を煮ると,交尾器は半透明になって,スケッチに適した状態になるが,標本が変質して保存には適さない状態になってしまう.それで,標本数が少ない場合,私は水煮を薦めたい.
水で煮た標本から交尾器を取り出したら,それを小型のシャーレ等に入れた70%アルコールに浸す.標本をKOH水溶液で煮た場合,取り出した交尾器を充分水洗した後に,70%アルコールに浸す.交尾器を70%アルコールに入れたら,無水アルコールを数適ずつ加えていき,アルコール濃度を徐々に高めていく.この作業に費やす時間は3〜5分である.その後,別の小型シャーレに入れた無水アルコールに交尾器を浸して固定する.固定に要する時間は5分ぐらいである.
標本の固定の最中は時間があくので,針に標本用の台紙を刺し,そのすぐ下に封入用のセル板(5mm×12mmぐらい)を刺したものを準備する.セル板の刺し方には2通りある.台紙とセル板を平行に刺す方法と,台紙とセル板を90度ずらして刺す方法である.後者の方法ではセル板が短くてすむので,私は後者の方法をとっている.
無水アルコールによる交尾器の固定が概ね終了したころ,耳かき棒の根元の方(羽毛等が付いていればそれらを取り外す)にユーパラルを少々つけて,セル板に1滴のせる.そして,無水アルコールに浸してある交尾器をそのユーパラルのなかに埋め込む.
ピンセットで無水アルコールのなかの交尾器を摘んで,直接セル板上のユーパラルに移すと,ピンセットの間を満たしているアルコールがユーパラルに流れ込み,ユーパラルが薄くなる.ユーパラルの濃度低下はその後の作業(交尾器の位置の固定)に支障をきたす.それで,交尾器を挟んだままのピンセットをロ紙におしつけて,アルコール分をきるようにする.そのとき,アルコール分をきりすぎると,瞬時に気胞が交尾器内部に入って観察に適さないものになってしまうし,だからといって,少ししかきらないと上述したようにセル板上のユーパラルが薄くなり,交尾器の位置固定に時間がかかるようになる.どの程度アルコールをきるのがよいかと言えば,交尾器がわずかな量のアルコールで覆われていて,かつ,無駄なアルコールがピンセット間にないといった程度である.このように表現すると,アルコール分を適切にきる作業は非常に難しいもののように思われる方がいらっしゃるかも知れないが,慣れるとさほど難しいものではない.
ただし,小型の交尾器封入には別の有望な方法がある.虫ピンの先にユーパラルを1滴つけて,無水アルコールに浸った交尾器をユーパラルに「直接くっつけて」拾い上げ,ユーパラルと共にセル板に移すという方法である.このとき,ユーパラルの粘性が低いと,交尾器を無水アルコール中から拾い上げる前にユーパラルは溶けてしまうので,この作業には適度に濃い(粘性が高い)ユーパラルを用いる.また,作業自体をすばやくやらねばならない.Puthz博士はこの方法でものの見事に交尾器を拾い上げるが,その華麗にして的確なる技はまさに「職人技」というにふさわしいものである.
無水アルコールからユーパラルに交尾器を封入する作業の途中で,交尾器に気胞を誤って入れてしまったとしよう.あるいは,腹部を解剖した時点で気胞が最初から交尾器に入っていたとしよう.気胞が入っていると,検鏡のとき交尾器が銀色に光り,その構造を掌握できず,正確な図を描けない.そこで,いずれの場合にせよ,これらの気胞を,なにか液体に置き換えなければならない.Puthz博士によると,その液体として薄いユーパラル水溶液を用いるのがよいとのことである.なぜなら,薄いユーパラル溶液は気胞が入った交尾器のなかに浸透しやすいからである.まず,無水アルコールに数適のユーパラルをたらして,薄いユーパラル溶液をつくる.次に,無水アルコールで固定した交尾器を,用意した薄いユーパラル溶液に浸して,気胞をユーパラル溶液に置き換える.ただし,置換を試みる毎に,すべての気胞がユーパラル溶液に置き換えられるということにはならないので,ユーパラルの濃度をかえたり,交尾器を軽くつついてみたりして,置換のこつや置換に適した条件を経験で学んで行きたい.ユーパラルは高価な薬品であることから,節約のために薄いユーパラル溶液をつくるシャーレは可能な限り小さい方がよいが,小さすぎると処理が面倒になるので,直径2.5〜3cmぐらいのものが適当のようである.
セル板上のユーパラルに気胞が入っていない交尾器を封入したら,図を描くことを考慮にいれて,ピンセットを用いて交尾器の位置を固定する.普通は背面か腹面か観察しやすい方を上に向けて固定するが,場合によっては斜めに傾いている様な状況で固定する必要があるかも知れない.交尾器の位置固定は,ユーパラルが濃い場合すぐに済むが,薄い場合比較的時間を要する.ユーパラルのなかの交尾器の動きが激しければユーパラルが薄いということであるので,5分ぐらい放置してアルコール分をとばしたあと,固定の作業にとりかかるとよい.納得行く形に交尾器を固定したとしても,交尾器は再び動きだす可能性があるので,封入30分後と翌日の2回ぐらい交尾器の封入状況を確かめたい.ユーパラルが固まったときに,その量が少なく,交尾器の一部がはみ出ているようであれば,ユーパラルを上乗せする.また,翌日見たときに,交尾器の位置が観察しづらいように変わっていれば,セル板に無水アルコールを1滴たらして,固まりかけたユーパラルを液状にもどして,封入のやり直しである.封入後1日ぐらい経過しても,ユーパラルは完全に固まらないので,次の日封入をやり直すとしても,さほど手間ではない.
交尾器の位置の固定作業の途中で,セル板上のユーパラル自体が白濁することがあるが,これはユーパラルとアルコールが混じる過程に生じる現象であるので心配ない.しばらくすると透明になるので,透明になってから交尾器の固定の作業にとりかかるとよい.
私はユーパラルを用いた交尾器の封入にカバーグラスを用いない.しかし,上述と同様の封入作業の直後に,小型(直径5mm程度)のカバーグラスで交尾器を封入したユーパラルを覆うこともあるらしい.カバーグラスを用いると,交尾器がしっかり固定されて,観察しやすくなるという.カバーグラスの使用は平たい交尾器に適しているようである.ただし,ぶ厚い交尾器にも,ユーパラル液の左右に細い紙切れや極細のガラス管などを枕木として敷くことによって,カバーグラスをかけることが可能であるようだ.しかし,私はここまで封入に時間をかける必要はないと思う.

(3).雌の貯精嚢のユーパラル封入
甲虫の中には,雌の貯精嚢が硬化している種が割合いて,その形状は種の同定にしばしば用いられる.特に,雌しか手元にない場合,貯精嚢の形状は比較されるべき最も重要な形質の1つとなる.そのとき,貯精嚢を比較・スケッチしていくが,貯精嚢をユーパラルに封入すると,これらの作業が非常に容易になる.以下で,貯精嚢の封入法を紹介したい.
まず,雌個体を水煮して,腹部の先端部を抜き取る.ここで腹部先端部とは,abdominal terminaliaと呼ばれている部分で,ハネカクシでは腹部第8節の中に入り込んでいて,外部からは通常見えない腹部第9・10節のことである.貯精嚢は第9節腹板間に位置するので,貯精嚢を傷つけないようにして第9節腹板を第9・10背板から離す.第9・10節背板を雌標本とともに乾燥標本として台紙に貼ったあとで,貯精嚢の処理を行う.貯精嚢は脂肪や膜で覆われているので,それらを取り除くために必ず貯精嚢をKOH処理しなければならない.そこで,雌の第9節腹板と共に貯精嚢を,約5%のKOH水溶液に1晩浸す(Puthz博士がやっていた方法).
もし,明らかに同種と思われる雌の個体数が多く,1〜2頭の標本を傷めても構わないと判断される場合,雌個体ごとKOH水溶液で5〜10分程度煮沸すると,その場で貯精嚢を解剖・封入できる場合がある.また,時間を短縮するために,水煮の標本から取り出した貯精嚢を,第9腹節腹板と共にKOH水溶液で煮沸するという方法も有効かもしれない.ただし,貯精嚢をKOH水溶液で煮沸する場合,貯精嚢を痛めないために,使用するKOH水溶液の濃度を低くする(例えば,3%)などの工夫がいるであろう.
KOH水溶液で貯精嚢を処理すると,貯精嚢の周囲の脂肪はほとんど溶けてしまっているか,あったとしても非常に離れやすい状態になっている.脂肪のつき具合いを調べ,沢山残っているようであればそれをピンセットで取り除くが,わずかであればそのままでよい.なぜなら小量の脂肪球はユーパラルに封入すると見えなくなるからである.脂肪球の処理を終えた後,貯精嚢を第9節腹板と共に充分水洗して,ユーパラルに封入する.その方法は雄交尾器の封入と基本的に同じであるので,ここでは繰り返さない.
ただし,貯精嚢は雄交尾器と比べて構造的に弱いので,時間をかけて脱水を慎重に行わなければならない.なぜなら,貯精嚢を急に高濃度のアルコールに入れると,すぐにしぼんてしまうことがしばしばあるからである.貯精嚢の硬化の程度が非常に低ければ,その貯精嚢をユーパラルに封入できないので,封入できる必要最低の貯精嚢の硬化の程度を経験で学んで行きたい.また,貯精嚢のユーパラル封入では,第9腹板の背面(内面)を上に向けて固定するとよい.このようなに固定することによって,もともと腹部に納まっていたような自然の状態で貯精嚢を観察できる.
貯精嚢のユーパラル封入は,貯精嚢自体が壊れやすいので,確かに難しい.貯精嚢の硬化や複雑さの程度によって異なるが,その封入の成功率は私の場合50%程度である.

(4).その他の封入可能な部位
雄の交尾器,雌の貯精嚢+雌の第9腹板以外に,雄の第9腹板も種の同定・分類に有用なので,封入する価値がある.口器(maxillary palpus, labium, mandible等)や触角や脚なども封入できる.1〜2mm程度の小型のハネカクシであると,KOH水溶液で処理した個体を,脱水して直接封入することも可能である.個体ごとの封入標本は時に形態観察や記載に非常に役に立つ.

(5).解剖後の標本作成
マウントに用いる糊:現在,国内では木工用ボンドが昆虫のマウントに広く用いられている.しかし,Puthz博士らヨーロッパの甲虫学者には,標本を水煮したときに,糊が標本から離れにくいという理由で,木工用ボンドは不評であった.他方,ヨーロッパでは,グルトリン糊という糊が広く(?)用いられているようである.グルトリン糊は,標本を水煮したときに,完全に溶けてなくなってしまうという点で,木工用ボンドより便利みたいである.日本では私はまだこの糊を入手していないが,一応ここで紹介しておきたい.
グルトリン(Glutolin)糊は,遺伝の実験で用いられるMethylcelluloseでできた糊である.この糊は市販の状態では白いさらさらした粉なので,この粉2gに水60mlをまぜて液状にして使う.ただし,このままだと,糊にカビがすぐに生える.そこで,ニパギン(Nipagin)という粉状の防腐剤を無水アルコールで溶かしたものを,グルトリン糊に加えておく.最初,この糊は水状であるが,1時間ぐらい経つと糊状に変わる.糊状に変わったら,その糊は使用可能である.
解剖後の標本作成:雄交尾器あるいは貯精嚢を抜いた後の個体を,台紙に張り付ける.グルトリン糊を台紙に付ける場合,小筆を用いるとよい.雄の腹面には二次性徴が認められることが多いので,複数の雄がある場合,腹面を上にして台紙に張る.第8節や第9節の背板や腹板がばらばらに別れている場合は,自然の個体の状態に近いように,第8節を前に,第9節を後に張った方が観察しやすい.腹部を体から外した場合,それを後胸と上翅の間にはめ込むように貼ると,あたかも解剖してない個体のようになり,見た目が美しく,検鏡もやりやすい.もし,腹部の一部にグルトリン糊や汚れが付着して,点刻や表面構造を観察しにくい場合,次の要領で付着した糊や汚れを剥す.まず,水で薄く溶いたグルトリン糊を,糊や汚れのついた腹面全体につける.つまり,うすい糊で腹部の表面を「パック」するのである.そして,糊が固まる直前に(約5分後),虫ピンでパックした糊を剥す.すると,糊や汚れは糊のパックと共にものの見事にはげ落ちるてしまう.ただし,虫に塗る糊の量や糊を剥すタイミングは経験の中で学びたい.

(6).封入標本の観察・スケッチ法
ユーパラルで封入した交尾器等は,双眼実体顕微鏡・生物顕微鏡のいずれでも観察できる.双眼実体顕微鏡を用いる場合,針差しにしたセル板を対物レンズの下において直接観察する.個体を比較するように,交尾器を厳密に,しかも簡単に比較できる.ゆえに,交尾器を比較・観察する場合,生物顕微鏡より双眼実体顕微鏡の方が便利である.他方,生物顕微鏡で観察する場合,交尾器が封入されているセル板を虫ピンから抜き取り,スライドグラス上に置き,セロテープ等で固定して,観察する.スケッチは双眼実体顕微鏡でも可能であるが,生物顕微鏡を用いて行った方がはるかによい.なぜなら,双眼実体顕微鏡では見逃してしまうような点刻,剛毛や微細構造を,生物顕微鏡では明瞭に観察できるからである.私は200倍あるいは400倍の生物顕微鏡にセクションを入れてスケッチしているが,セクションのかわりに描画装置を用いてもよい.

おわりに
まだ日本の昆虫分類の関係者ではあまり普及していないユーパラルの封入法を紹介するのであれば,綿密にやろうと思い,結果的に第8号のニュースの紙面を随分長々と割いてしまい,申し訳ございませんでした.しかし,以上で,封入の情報はほぼ全てですので,興味をもたれた方は,お試しになってみてはいかがでしょうか.もし,会員の方から,「例会で封入の実演を」というご要望があれば,次回でもやってみようと思います.また,ユーパラルを用いた封入法への御質問があれば,事務局までお問い合わせください.次回のニュースで取り上げたいと思います.
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4.ハネカクシ研究家の横顔−シリーズ3:Volker Puthz博士−
メダカハネカクシ亜科(Steninae)の分類学的研究は,20世紀前半リューベック(ドイツ)在住のLudwig Benick博士によってなされていました.彼の研究は,1952年に発表された大論文:『Pilzkafer und Kaferpilze(キノコに集まる甲虫と甲虫の集まるキノコ)』[Acta zool. Fenn. Helsingfors,70:1-250]で幕を閉じました.経つこと10年,Volker Puthz博士は,ハネカクシに関する最初の論文を発表します.当時,彼はまだベルリンに住んでいて,分類学者によくあるように最初の彼の論文は,特定地域(低部オーストリア)のハネカクシのリストでした:『Die mir aus dem Lunzer Gebiet bekannt gewordenen Staphyliniden(ルンツ地域から記録されたハネカクシ類)』[Z. Arbeitsgem. Osterr. Ent., 14(3):74-87(1962)].Puthz博士のこの最初のハネカクシのリストを見た当時の人々は,後に彼がメダカハネカクシ亜科ハネカクシの論文を250本,Euaesthetinaeチビフトハネカクシ亜科ハネカクシの論文を80本,Megalopsidiinaeメダカオオキバハネカクシ亜科ハネカクシの論文を20本(1999年現在)書く大学者になるとだれが予想したでしょうか.論文の住所を見ていきますと,1968年にHessen州のSchlitzに移っていて,以降どこにも移らず現在に至っています.Puthz博士は,日本で言えば,教育委員会の教育センターに相当する機関の職員でして,高校の理科の先生を対象に理科教育の指導をされてきました.ハネカクシの研究は,その仕事と別に御自宅でされてきましたが,その研究の質と量を考えますと,「スゴイ!」の一言です.以下,彼の主な研究をご紹介します.
(1).. Revision der Afrikanischen Steninenfauna und Allgemeines uber die Gattung Stenus Latreille. Annls. Mus. R. Afr. cent. Ser. 8, No.187:vi+376pp(1971). 本書は,Puthz博士の唯一のモノグラフでして,表題の通りアフリカのメダカハネカクシを分類したものです.本書では,雄交尾器の研究法(pp.15-20)が最もためになります.
(2). Das Subgenus "Hemistenus" (Col., Staphylinidae). Ann. Ent. Fenn., 38:75-92(1972). Hemistenus亜属ハネカクシの世界レベルでの分類再検討.
(3). Die Stenus-Arten (Stenus s. str. und Nestus Rey) der Orientalis. Reichenbachia, 18(3):23-41(1980). 東南アジア産Stenus亜属とNestes亜属の分類再検討.
(4). Die gelblich gemakelten Dianous-Arten der Welt. Reichenbachia, 18(1):1-11(1980); Was ist Dianous Leach, 1819, was ist Stenus Latreille, 1796? Ent. Abhand. Staat. Mus. Tierk. Dres., 44(6):87-132(1981). 以上2論文が,Dianousヒョウタンメダカハネカクシ属の世界レベルの分類再検討.
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今年の夏来日されるPuthz氏ご夫妻(1994年秋ドイツのシュリッツにて)
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ハネカクシ談話会ニュースNo.8 (1999年5月25日発行)
発行責任者:直海 俊一郎
事務局:〒260-8682 千葉市中央区青葉町955-2 千葉県立中央博物館
直海 俊一郎(TEL:043-265-3111; FAX:043-266-2481)
ハネカクシ談話会幹事(中央博:直海俊一郎); (科博:野村周平)
関西支部 事務局:〒666-0116 兵庫県川西市水明台3-1-73
林 靖彦(TEL:0727-93-3712)
関西支部幹事(川西市:林靖彦); (八幡市:伊藤建夫)

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