2009-11-01

2009年ノーベル賞 自然科学3賞の業績


タンパク質合成の現場に迫る

 私たちがどのような生物種で,どのような姿をしているのか。私たちの体の器官や臓器は,それぞれどのように働いているのか。DNAは私たちを私たちとして形作るために必要な情報が記された,生命の設計図だと良く言われます。
 例えばヒトの体には,およそ60兆個の細胞があります。その細胞のほとんど(成熟した赤血球など例外もあります)が,核と呼ばれる球状の構造を持っており,核の中には両親から各23本ずつ受け継いだ46本の染色体が入っています。染色体を更に詳しく見ると,細長い糸状のDNAがタンパク質(ヒストン)に巻きついて複雑に折り畳まれているのが判ります。

 細長い糸のように見えるDNAは,実際には2本の細い鎖がお互いに塩基と呼ばれる腕状の構造を出し合って結合し,らせん状に絡み合った構造をしています。
 DNAの塩基にはアデニン(A)・チミン(T)・グアニン(G)・シトシン(C)の4種類があり,AはTと,GはCとのみそれぞれ相補的に結合しています。

 生命の設計情報は,この4種類の塩基の並ぶ順番によって記されています。しかしこのままでは,単なる文字列に過ぎません。
 DNAの情報を発現させるためには,大きく分けて2つのプロセスが必要です。まず初めにDNAの2重らせんを解き,塩基の並びの情報を伝令RNA(mRNA)に写し取ります。RNAはA・G・Cとウラシル(U)の4つの塩基からなる1本鎖で,mRNAはDNAの片方の鎖に対しAにU,GにC,CにG,TにはAがそれぞれ結合することで形成(※2)されます。これを遺伝情報の『転写』と呼びます。
 完成したmRNAは核から細胞質へと移動し,小胞体にあるリボソームに付着します。リボソームはそれ自体RNA(rRNA)タンパク質からなり,mRNAによって届けられた情報を読み取って生命活動に必要なタンパク質を合成します。
 
 mRNA上の遺伝情報は,塩基3個の組み合わせで,タンパク質を構成するアミノ酸1個を指定しています。この3つ組の塩基配列をコドンと言い,例えばGGGならグリシン,UUUならフェニルアラニンが指定されます。タンパク質の合成開始や終了を指定するコドンもあります。
 指定されたアミノ酸を運搬するのは,コドンと相補的に結合することのできる塩基配列(アンチコドン)を持った運搬RNA(tRNA)です。mRNAがリボソームに到着すると,対応するtRNAがリボソームに集まり,アンチコドンがコドンに結合することでアミノ酸が指定の順番通りに並べられます。アミノ酸同士はペプチド結合で繋がり合い,立体的に折り畳まれてタンパク質となります。ここまでの過程をまとめて『翻訳』と呼びます。
 リボソームはtRNAの到着,ペプチド結合の形成,アミノ酸の運搬を終えたtRNAの離脱の各過程を円滑に進め,なおかつ誤ったアミノ酸を持ったtRNAが入り込まないよう監視する役割を持ちます。

 DNAからタンパク質の合成に至るこのプロセスは,1950年代の後半には既に提唱されていました。しかしリボソームが実際にどのような働きをしているのかを原子レベルで捉えることは長く不可能とされてきました。
 立体的な物質の構造を原子レベルで観察するには,X線結晶構造解析が有効です。X線結晶構造解析では目的とする物質の結晶にX線を照射し,結晶内の原子に当たって散乱されたX線を観察することで原子の種類と立体的な位置関係を知ることができます。
 正確な分析のためにはできるだけ均質な結晶が必要です。しかし一般に分子量が大きくなるほど,タンパク質の結晶化は難しくなります。リボソームは大小2つのサブユニットからできていますが,小さい方でもrRNAひとつと約32個のタンパク質,大きい方ではrRNAが3つと,およそ46のタンパク質を含んでいます。これは生体高分子の中でも特に巨大もので,結晶化には様々な工夫が必要でした。
 今回の受賞者のひとりヨナット氏は,摂氏75度の温泉に生きる微生物に目をつけました。高温の環境で生き抜くことのできる生物ならば,他の生物より安定なリボソームを持っているのではないかと考えたのです。結晶を安定化させるため液体窒素で冷やしたり,塩分濃度の高い死海の生物を試したこともありました。
 やがて結晶化に成功すると,他の2氏を含め複数の研究チームが解析に参入して来るようになりました。各チームは時に競争し,時に協力しながら研究を進め,2000年の夏ごろには大・小それぞれのサブユニットの構造が相次いで解明されました。リボゾーム全体の構造が解明されたのは2006年,ラマクリシュナン氏のチームが他をおさえて最初の報告者となりました。

 リボソームの構造が明らかになったことによる恩恵は,タンパク質合成の現場により詳細に迫れるようになったことだけに留まりません。
 私たちが細菌などに感染した際の治療に効力を発揮する抗生物質は,微生物が他の微生物の増殖を抑えるために産生する様々な化学成分を薬として利用したものです。微生物が作る物質そのものを使う場合もあれば,効力を強めるなどの人工的な改良を加えて使用する場合もあります。
 抗生物質の効き方には,例えばペニシリンなどのように細菌の細胞壁の合成を阻害して細菌の生育,増殖を抑えるタイプのものもありますが,結核の治療薬として知られるストレプトマイシンなどは細菌のリボソームRNAに結合し,生存に必要なタンパク質の合成を阻害します。

 感染症治療に大きな成果を上げて来た抗生物質ですが,それらが効かない耐性菌も多く出現しており,常に新たな物質の発見,開発が求められています。リボソームの立体構造が明らかになったことにより,リボソームの働きを阻害するタイプの新たな抗生物質の開発が進むことが期待されています。

※2 多くの真核生物では,DNAから転写された情報がそのままmRNAとなる訳ではありません。DNAの情報にはアミノ酸の指定とは関係のない配列が多く含まれるため,転写後のmRNA前駆体から不要部分を切り落とし,必要な部分だけを繋ぎ合わせる(スプライシング)必要があります。

写真:地球館地下1階展示解説より細胞の構造
 小胞体の表面に見られる無数の小粒がリボソーム

より詳しく知りたい方のために
地球館1階展示解説『生命とは何か?』