2007-12-01

恐竜化石の発見相次ぐ (協力:地学研究部 真鍋真・加瀬友喜)

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 日本で初めて発見された恐竜の化石は,1978年,岩手県岩泉町茂師で発見された竜脚類の上腕骨の一部です。発見された場所に因んで,「モシリュウ」と呼ばれています。


 「モシリュウ」の第一発見者は,東大名誉教授の故花井哲郎先生(元国立科学博物館館友)と国立科学博物館地学研究部の加瀬友喜です。発見当時の様子について聞いてみました。


Q:発見した場所は,どのようなところでしたか?
A(加瀬):北上山地の北部,岩手県岩泉町茂師の海岸です。前期白亜紀(およそ1億年前)の海成層である,宮古層群が分布しています。宮古層群は、アンモナイトや二枚貝など、保存の良い化石がたくさん出ることで知られています。私は当時科博に就職して1年目で,宮古層群を研究されていた故花井哲郎先生と一緒に,岩泉町茂師周辺の地質調査に出掛けていました。
宮古から茂師まではバスで行きました。国道45号線から分かれた旧道沿い,崖の上に立っていた民宿に泊まることになっていました。その民宿のすぐ前の崖に,ちょうど宮古層の最も下の層(これを基底層といいます),サンゴの塊の入った礫岩が露出しています。その崖に何気なく目をやった時,岩とは違う白いものが崖面に覗いていることに気づいたのです。

Q:それが恐竜の骨だ,と直ぐに分かりましたか?
A:骨の組織が見えていたので,それが脊椎動物の化石であることは直ぐわかりました。骨の大きさ,太さから,かなり大きな生物であることも想像できました。しかしそれまで日本では恐竜の化石が見つかっていなかった上,例えば海生爬虫類などが恐竜と間違われた例もあったため,間違いなく恐竜,と言い切れるようになるまでには少し時間が掛かりました。

Q:恐竜を探していた訳ではなく,偶然の出会いだった,と考えて良いのでしょうか?
A:そうです。
宮古層群はそれまでにも多くの研究者が調査に訪れており,私たちが行く僅か1ヶ月前にも別の研究者が同じ崖を見,崖の写真を撮っていました。しかしその写真では,化石は写っていなかったのです。写真が撮られてから私たちが行くまでのひと月の間に,崖が崩れて化石が見えるようになったのでしょう。残念ながら化石の一部も崖と一緒に崩れたようで,周りに破片が散らばっていました。私たちが訪れるのがあともう少し遅かったら,化石も完全に崩れていたかも知れません。出会えたのは偶然良い時期にその場所にいたから,と言って良いでしょう。


 「モシリュウ」の発見まで,日本では恐竜の化石は見つからない,と言われてきました。事実,それまで日本で見つかった恐竜と言えば当時日本領だった樺太・サハリンで発見されたニッポノサウルスだけで,樺太がロシア領となって以降は日本産の恐竜はなくなってしまっていたのです。
 「モシリュウ」発見をきっかけに,日本各地で恐竜が見つかるようになりました。その結果現在までに,前ページの地図のように多くの場所で恐竜やその足跡の化石が見つかっています。
 国立科学博物館では,「モシリュウ」の上腕骨と,手取層群から発見されたイグアノドン類「シマリュウ」の歯の化石が日本館3階「日本列島の生い立ち」フロア,また「ニッポノサウルス」の全身復元骨格(複製)が地球館地下1階「地球環境の変動と生物の進化」フロアに展示されています。


※「モシリュウ」など、ここで「(かぎかっこ)」でくくって表示したものは学名ではなく、愛称の様なものです。
学名とは生物の公式な名称のことで,生物の名前として国際的に認識される唯一のものです。国際命名規約に従ってつけられ,保護されています。種の学名は属名と種小名というふたつの名前からなり,例えばフクイサウルスなら,属名Fukuisaurus,種小名tetoriensisで,合わせてFukuisaurus tetoriensisとなります。文章中の他のことばと区別できるよう,イタリック体標記が通例になっています。


写真:モシリュウ発見時の露頭。矢印前方が化石。
(提供:加瀬友喜)

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