随 想
「顔」が科学になった

原島 博

 人は誰もが「顔」を持っている。それも一つだけ。その顔を一番見やすいところにおいて、しかも衣服で隠さずに裸のままで人に見せている。それを当たり前のように思っている。

 もしも、人に顔がなかったらどうなるだろうか。何も見えない、聞こえない、食べられない、息もできない。要するに生きていくことができない。それだけではない。人と会ったときに、相手が誰だかわからない。自分の気持ちを相手に伝えることもむずかしくなる。恋人同士はキスもできない。

 一方、顔がなければコンプレックスがなくなる。女性はしわ、男性ははげが気にならない。嘘をついてもわからない。面と向かって嘘をつくことはできなくても、電話や電子メールならできる。嘘は顔に出てしまうからである。

 このように人にとって大切な「顔」を科学することを目的として、1995年3月に「日本顔学会」が発足した。外国には顔の学会はない。世界に例を見ない、顔そのものを研究する学会が、この日本に誕生したのである。

 会員は現在約700名。小さなささやかな学会であるが、実にさまざまな分野の研究者が集っている。国立科学博物館でおなじみの人類学をはじめとして、心理学、解剖学、矯正を中心とする歯学、美容、芸術、警察関係、そして筆者のような情報工学者‥‥‥。女性会員が30%近くいることも、この学会の特色である。

 そしていま、顔学会では、「顔学」を一つの科学として体系化することを夢見ている。顔学は目の前の等身大の科学であり、感性の科学でもある。そして典型的な学際科学である。これからの科学には、レオナルド・タ・ヴインチのように総合的な視野をもつことが要請されよう。しかし現代では、一人でデ・ヴインチになることはむずかしい。日本顔学会は、700名の集団でデ・ヴィンチになることを目指している。

 さらに顔学は、社会に開かれた科学でありたいと願っている。人にとって、顔は単に自分の体の一部ではなく、むしろ存在そのものである。顔の研究は、もしかしたら人間の尊厳を傷つけることになるかもしれない。新たな社会的な差別をひきおこすかもしれない。顔学は、学問の世界だけに閉じこもっていてはいけない。社会に対してつねにオープンであらねばならない。

 このたび、国立科学博物館において、「大“顔”展」が開かれることになった。日本顔学会が、その企画を担当している。数十万人の一般人場者を対象とした学会の研究発表会でもある。社会と共にありたいと願う弱小学会の壮大な計画である。 

(東京大学教授、日本顔学会理事)