縄文時代総論
骨が語る縄文人の生きざま(1)
志風頭遺跡の隆帯文土器 -世界最古で最大級の土器-
上野原遺跡
南九州縄文文化の先進性
上野原遺跡の夫婦壺
三内丸山遺跡
三内丸山遺跡(食べる・蓄える)
三内丸山遺跡(狩り)
三内丸山遺跡(装う)
三内丸山遺跡(豊穣と大猟)
三内丸山遺跡(祈りと祀り)
三内丸山交易センター(1)
三内丸山交易センター(2)
巨大木柱とは
最北に生きた縄文人
船泊遺跡縄文人の海獣狩猟の様子
南方との交易品
ヒスイ製のペンダント
貝玉アクセサリーをつけた15号墓の人骨
船泊遺跡縄文人の顔
北方との交易品
船泊遺跡のアクセサリー工房
礼文島縄文人の交易品ルート
   

およそ1万年前の完新世になると、黒潮の分流が対馬海流となって日本海側にも進入し、現在と同じように温暖湿潤なモンスーン気候が広く日本列島を覆いました。各地に実り多い恵みをもたらす森林が発達した結果、陸海のさまざまな食料資源を活用し、豊かな文化を育む縄文時代人の生活が始まったのです。
南九州では、豊かな照葉樹林のなかで大集落が発展しましたが(上野原遺跡)、約6500年前の鬼界カルデラの巨大噴火で、南の縄文文化は消滅してしまいました。青森県では、対馬海流を利用した「海の交易センター」が成立し(三内丸山遺跡)、北海道礼文島には貝アクセサリーの工場が存在していました(船泊遺跡)。



















     
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