湯川秀樹博士は1907年、東京の麻布に小川秀樹として生まれました。上には姉が二人、兄が二人。父方の祖母と母方の祖父母も同居する大家族でした。後には弟が二人生まれました。父親の小川琢治(たくじ)は農商務省地質調査所に勤務する地理学者でした。「湯川」とは博士の妻の姓で、博士は結婚後に湯川姓を名乗るようになりました。
  湯川博士が1歳のとき、一家は京都に移ることになりました。父親の琢治が京都大学に新しく作られた地理学講座の教授に就任したからです。
 父親の琢治は多趣味な人で、何かに興味をもつと、それに関する本を集めるくせがありました。そのために、湯川博士の家は図書館のように本だらけでした。家族はみな勉強好きで、祖父は漢学と英語、母親も英語が得意でした。おかげで、子どもである湯川博士や兄弟姉妹はみな、小さなころから本を読むのが当たり前になりました。後に、二人の兄は冶金(やきん)学者と東洋史学者に、弟は中国文学の学者になっています。
  本に囲まれながらも、湯川博士が両親に勉強を強いられたことはありませんでした。父親は子どもたちにいつも言い聞かせました。「学校の成績のために勉強するなんて、おろかなことだ。自分が好きな学問を深く学びなさい」。湯川博士は自主的に勉強や読書にはげむ子どもに育っていきました。
読書を通じて、湯川博士は物理学に興味をもつようになっていきました。ある時、「物質はいったいどこまで小さくすることができるのか」という問題について、すぐ上の兄と大論争をかわしたことがありました。兄は「分子という単位が一番小さいんだよ。それ以上小さく分けることはできない」といいました。しかし湯川博士は「どんな物質でも、もっと小さい単位に分けることができるはずだ」と主張しました。年の差には勝てずに、このときは兄に言い負かされてしまった湯川博士ですが、その直後に分子よりも小さな「原子」、さらに原子を構成する「原子核」と「電子」が発見されました。幼い湯川博士にはすでに「物理学のセンス」が身についていたのです。