野依博士は、1938年9月3日に兵庫県で生まれました。父親はある化学企業の研究者でした。後に、弟が2人、妹が1人生まれました。幼いころからとても頭が良く、小学校は神戸大学附属住吉小学校に入学しました。体が大きかった野依博士は、野山をかけまわるガキ大将でもありました。神戸の豊かな自然は生活空間の一部。山の中を探検したり、川で泳いだり、チャンバラごっこをしたり、毎日が自然との遭遇でした。遊び仲間からは「ノブタ」というあだ名が付けられ、親分のように慕われていました。
 野山をかけまわる一方で、野依博士の成績は常にトップクラスでした。特に目標を定めたときの集中力には目を見はるものがありました。小学校5年生のとき、野依博士は湯川博士がノーベル賞を受賞するというニュースを耳にしました。後に、野依博士はそのときの心境を次のように語っています。「小学生であった私にも、湯川博士の受賞によって、戦後の暗くみじめな時代に明るい光がさしてきたことがわかりました」。これをきっかけに、野依博士は科学に対して非常に興味をもつようになりました。「湯川博士のような、立派な科学者になりたい」。湯川博士と科学への強烈なあこがれが胸に刻まれていきました。
 神戸大学付属住吉小学校を卒業した野依博士は、文武両道で有名な灘中学へと進学しました。柔道部に所属し、肉体と精神を鍛える日々を過ごしていました。そんなある日、父親に連れられてナイロンで作られた新製品を披露する発表会に行くことになりました。ナイロンとは、ストッキングや食器を洗うスポンジなどの原料になる人工の繊維(せんい)です。野依博士はそこで、ナイロンが水と石炭と空気から作られることを知りました。「化学ってすごい。まったく想像もつかないものを作り出してしまう」。ちょうど、石油化学などの工業化学が成長を始めた時代でした。野依博士は、化学のなかでも工学部をめざすことに決めました。