カミオカンデの後を引き継いだ
スーパーカミオカンデ

 ロチェスター大学とシカゴ大学を経て、1970年、小柴博士は東大理学部の教授に着任しました。そして1978年に研究仲間から、「理論的には予言されていながら観測されていない陽子崩壊を何とか確認できないものか?いい実験装置を考えてほしい」と頼まれました。
 地球上の物質は、細かく分けると原子という小さな単位に行きつきますが、原子の中には「原子核」というさらに小さな単位が存在し、その原子核は陽子と中性子という極小の粒子(素粒子)から成り立っています。陽子崩壊とは、陽子がほかの軽い素粒子に分解されてしまう現象で、おきているはずなのですがだれも観測できていなかったのです。
 小柴博士は一晩で実験装置を考えだし、概念図を書き上げました。実は依頼される20年も前から、ひそかにそのような実験装置を考えていたのでした。それは、地下1000メートルに巨大な水槽を設置し、水槽に入ってきた素粒子が水中の電子などにぶつかると光を発するようにして、光センサーで解析するというものでした。1983年、この巨大な装置は「カミオカンデ」という名で、岐阜県神岡(かみおか)鉱山の地下に建設されました。名前の由来は、地名の神岡にちなんだものでした。
 直径15.6メートル、高さ16メートルに達するカミオカンデの水槽には、3000トンもの水(純水)がたたえられました。水槽の内側には約1000本の光センサーが取り付けられています。水槽の中に素粒子が入ってくると、素粒子は水中の電子などにぶつかって微弱な光を発します。その光をセンサーでとらえることができれば、素粒子のふるまいを知ることができるというわけです。完成までには、センサーを開発した浜松ホトニクスに対して「これだけの金で、うんとすごい光センサーを作ってほしい」と詰め寄ることもありました。
 完成後、あらゆる手を尽くしての観測がはじまりました。しかし結局、陽子崩壊の現象をとらえることはできませんでした。でも、この程度の失敗でしょげる小柴博士ではありませんでした。1987年、小柴博士は確実に成果を上げられる観測として、大気中の素粒子「大気ニュートリノ」の検出を試みはじめました。大気ニュートリノは、主に太陽から地球に降り注ぐ宇宙線が地球の大気とぶつかってできる素粒子です。
 観測開始直後の1987年2月、小柴博士が東大を去る直前に、すばらしい幸運が訪れました。宇宙のはるかかなた、大マゼラン星雲で383年ぶりの超新星爆発がおき、それまでとはケタはずれに多量のニュートリノが地球に降り注いだのです。超新星とは、急激に明るさが増し、太陽の100億倍もの光度になる星のことで、一つの銀河内で出現するのは約100年に1個といわれています。超新星の中には星全体が吹き飛ぶような大爆発をおこすものがあり、その爆発を超新星爆発とよんでいます。
 小柴博士のところに超新星爆発がおきたとの知らせが届いたのは、爆発観測の二日後の2月25日でした。さっそくカミオカンデの観測データを取り寄せて解析が始まりました。2月28日、ついにニュートリノの信号を見つけだしました。その日、すでにイタリアとソ連(当時)の共同チームがアルプス・モンブランの地下観測装置でニュートリノをとらえたと発表していました。しかしその後、イタリア・ソ連チームのデータには誤りがあることが判明。小柴教授はあせることなくデータを詳細に検証し、3月5日に発表しました。勝利は、小柴博士が率いる東大宇宙線研究所のものとなりました。