福井博士は1918年10月4日、奈良県にあった母親の実家で生まれました。その後、大阪に移り住んだあとも、夏休みや春休みには自然に囲まれたこの場所で過ごしていました。豊かな自然環境の中で、昆虫や、鉱物など何でも手当たりしだいに集めてまわるのが好きでした。とにかく生き物が大好きで、海にいるプランクトンを集めてきて、顕微鏡で観察したり、生き物の営みに深く感動したり、磯でウミウシやハナデンシャの美しい姿に見入ってしまうこともありました。
 福井博士は、中学校に入学すると生物同好クラブに入りました。とくに昆虫が大好きで、近くにある山々をめぐり、歩きまわって採集を続けました。こうして自然を通し、理科に興味をもつようになっていきました。そんな福井博士の少年時代の愛読書は『ファーブル昆虫記』でした。それにしてもこんなに昆虫が好きなら、昆虫学者の道もあったはずです。なぜ、福井博士は化学の道を選んだのでしょう? それは、ファーブルの生き方にヒントがあるようです。ファーブルは一流の昆虫学者であったばかりではなく、なんと一流の化学者でもあったのです。しかし、博士が「化学者になろう」と思いはじめるのは、まだ先の話です。
 自然の中で遊びまわる一方で、福井博士は勉強もちゃんとしていました。また、中学校時代には級長を4年間務めています。さらに、優秀さが認められ、中学最後の1年間は免除となって、高校に進学しました。
  しかし福井博士は、両親から「勉強しなさい」といわれたことはありません。それどころか、博士の父親は試験の前日に「碁(ご)を打とう」と誘いに来ることさえありました。また福井博士自身、テスト前になると無性に文学など、テストとはまったく関係のない本が読みたくなることがありました。私たちが試験前に苦しむのと同じように、福井博士も試験勉強にとりかかるためには、いくつもの誘惑に勝たなければなりませんでした。
 子供時代の福井博士は、「見るからに利発な子」といった印象はなく、どちらかといえば物静かな少年でした。中学時代の先生は、福井博士のことを「一見おっとりしているが、将来は大器になるかもしれない」と語ったそうです。
 外見はおっとりみえても、福井博士はこうと決めたら徹底して物事に取り組みます。例えば、こんな話があります。高校では、学校の決まりにしたがって何かスポーツをしなければなりませんでした。福井博士は、あまりスポーツは得意ではありません。しかし、決まりなので剣道をはじめることにしました。
  仕方なくはじめた剣道は、試合になっても勝つことができません。そこで福井博士は剣道の試合で勝つために、勉強そっちのけでもくもくと剣道の練習を始めました。あまりに必死に練習する、その姿を見た剣道の先生は「君は勝とうとする気持ちが強すぎる。負ける気持ちになって打ち込みなさい」とアドバイスをします。このアドバイスが功を奏して、その後、福井博士は少しずつ試合に勝てるようになりました。福井博士は、思い立ったら必死で何事にも立ち向かう少年だったようです。