江崎博士は、1925年3月12日に大阪府で誕生しました。名付けられたレオナの「レオ」とはラテン語で「獅子(しし)」という意味をもっています。そこには、父親の「世界に通用するような男らしい男になってほしい」という願いがこめられていました。欧米には、レオナルドやレオニードといった「レオ」から始まる名前がたくさんあります。一風変わった名前の江崎博士は、小さなころから「自分はみんなとは違うんだ」ということを強く意識するようになりました。
 蓄音機(ちくおんき)との出会いが、江崎博士と科学との出会いでした。蓄音機は、偉大な発明王であったトーマス・エジソンが作ったものです。エジソンは銅製の円筒(シリンダー)に「錫 (すず)はく」を巻き付けたものを手で回転させ、一方で振動板に直結した録音針を錫はくに押し当てることで、音を記録することに成功しました。錫はくに刻みつけられる溝の深さを、音の強さに応じて変化させたのです。そして、この溝を針で再びたどらせることにより、音を再生することを可能にしたのでした。蓄音機は後のレコードプレーヤーの原型となりました。当時、すでにエジソンは偉大な発明王とされていて、伝記が出版されていました。江崎博士はその伝記を読んで「エジソンのような発明家になってみたい」と思っていました。
 志の高い江崎博士でしたが、早くも、中学受験に失敗するという挫折(ざせつ)を味わうことになりました。江崎博士は、全国から秀才が集まる京都府立一中を目指していました。しかし入学試験で不合格になり、仕方なく私立の同志社中学に進学することになったのです。しかし同志社中学で接することになったキリスト教の教えは、江崎博士の「国際的な科学者」としての下地になりました。校風はいたって自由で、アメリカ人の教師からは本場の英語を学びました。毎朝行われる礼拝も、西欧の異質な文化に触れる刺激的な時間となりました。